【アカペラ】審査員は神様じゃない!〜審査員は神か人か?〜


心境の変化

4年前の僕「審査員は神様じゃない!」

神になったかのような気持ちで
皆の合否が自分の意のままになるが
神様ではないのだ!
調子にのってはいけないぞ!!!

今の僕「審査員は神様に近づくべきだ!」

審査員は人であっちゃいけない!
出来る限り神様に近づかなければいけない!
でも神にはなれない・・・。
うーん!矛盾してて難しィー!

そんな心境の変化を
理由と裏付けと共に記事にします。


審査員は神様じゃない!
まずは

審査される側

の視点から書きます!

まず審査員は神様じゃないです。
もちろん出来る限り影響が内容につとめますが
好き嫌いや得意不得意などの人であるが故の
主観に紐づいた判断が行われてしまう
こともあります。

ただ審査となると多くの人が
「努力と練習量がちゃんと反映されてない!」
「あそこのバンドよりうちの方がハモっている!」
「なんであそこはリズムがダメだったのに通ったんだ!」

と、物凄い勢いで文句を言い出すのです。

もう一度言うと

審査員は神様じゃない

のです。

なので審査員に完璧性を求めても無駄です。
審査を受ける側はこれを理解して審査員にすかれる工夫をすることも大切だと僕は思います。
だって審査員も人間である以上どれだけ審査員が気をつけても人間由来のミスは出てしまうのですから。

じゃあ文句を言ってないで
逆にそのミスを狙わないと!!!


審査員は神様を目指しましょう!
逆に審査員は神様を目指しましょう!

当然審査を受ける側は皆本気なのですから
自分たちの評価が不当だと思えば文句を言います。

「努力と練習量がちゃんと反映されてない!」
「あそこのバンドよりうちの方がハモっている!」
「なんであそこはリズムがダメだったのに通ったんだ!」

例えば上記のような苦情があがって来た際に
100人が聴いて100人が納得出来るような
明確な判断基準が必要になるのです。

ただ現実には100人が聴いて
100人が納得してくれるような基準は
音楽には存在していません・・・。

なので
審査員は神様になれ!
ではなく
審査員は神様を目指しましょう!
なのです。

ただしこれだけは肝に銘じておくべきだと思います。

審査される人が求めているのは
“審査員と言う人間”ではなく”完璧性のある審査を行う神様”です。

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人の心を持つと人を不幸にする
僕はかつて人の心を持って人間として審査をしようとしていました。

しかし“審査対象者の気持ち”を考えると
完璧性はどんどん低下し結果として審査対象者を不幸にします。

審査対象者は全員受かりたいと思っている
しかし全員は受からせる事が出来ない
結局誰かが審査で落ちる事になってしまう

この時“審査対象者の気持ち”など言い始めると
審査の基準が単純な音楽の審査としての観点からズレてしまいます。
そうすることで音楽の審査を受けている審査対象者達は

「努力と練習量がちゃんと反映されてない!」
「あそこのバンドよりうちの方がハモっている!」
「なんであそこはリズムがダメだったのに通ったんだ!」

と、言う感情を抱くわけです。
審査が終わった後のやりとりでは人間であるべきだと思いますが
審査を行っている最中は不完全ながらも限りなく神様であるべきだと
僕は考えています。


まとめ
そう思うとマークシートのマーク1つで合否が別れる
受験は凄く平和な審査なのかもしれません。
マークシートのマークや受験での解答は完璧性があり
誰が審査しても同じ結果が出るように作られています。

※一部AOとか小論文とか取り入れている受験もありますが・・・

しかし残念ながらアカペラの審査は
人に依存した人が行っている審査です。

より平等な審査を行うためにも

審査員はより神様に近い審査を、
審査対象者は審査員を人間と思って接すると、
審査はもっと良いものになるのかなと思いました。


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