アカペラアレンジとプロのカバー


今日は同じサークルに所属している浅葱(@asagi_koe)のライブを見に行く。金欠な僕だが今年に入ってから既に二回目のライブと言う事もあり、ちょっと楽しみにしている。


なんかこのブログだけ見ていると、僕はK.O.E.に所属しているバンド全部好き好き人間みたいだが実際そんな事はない。寧ろ逆である。好きなバンドも少ないが、嫌いなバンドが多いわけでもない。実は”最悪な”無関心なのである。僕の持論だと、嫌いって言っているうちはまだ良いと思っていて、本当に嫌いなものに関しては嫌いとすら思わず無関心を貫いてしまうものだと思っている。


と、まあ関係ない話しは置いておいて、一体何故それほどまでにサークルのバンドに対して無関心になってしまうのか考えてみた。逆に僕はどんなバンドを応援しているのだろうか、と。


まず長期的に結果が出ずともひたむきに活動を続けている後輩バンドは応援している。自身のバンドもそういうバンドが多かったからだ。それに長年同じメンバーで歌って行く中でお互いに音楽的に信頼関係も築けそのバンドでしか出来ない演奏が作られる。これは単なるプロのカバーや歌が上手いだけのバンドと違う。後輩バンドに限らず、同期バンドや先輩バンドでも僕が好きなバンドって代替初めからめちゃくちゃ上手かったってバンドは無い。たぶん、長年歌い続ける中で形成されたハーモニーや音楽性があるバンドが好きなのだと思う。


でもそれって言ってしまえば当たり前な気がしなくもない。ただ単純に音楽的な完成度が高い、所謂上手い演奏が聴きたいのならば、学生バンドのライブには行かない。だいたい学生アカペラのライブは1500円〜2000円が相場だが、2000円出せばプロのライブだって行けてしまうのがアカペラの世界だ。上手いだけの演奏が聴きたいならば2000円払って学生のライブを見に行く必要は無いと思う。


なので、僕は自分たちの音楽性と言う意味で編曲をしている時点でそのバンドを評価するようにしている。プロの楽譜をそのまま歌ってもどうせ劣化版コピーにしかならない。だってプロだって自分たちの得意不得意を分析して得意なフィールドで楽譜を作っているのだから当然である。もちろんメンバーがプロと全く同じ声域とリズム感と声量などのスペック持ちであれば話しは変わってくるが、、、。

プロのアレンジのカバーにしてもそれをあたかも自分たちのアレンジかのようにドヤ顔で歌うバンドは少し下品だと思ってしまう。これは僕が小学校の時にピアノの先生に言われた言葉なのだが、「アレンジはその人の自己表現」でもある。その自己表現に口を出すのは”基本的に”野暮だと思っている(※)。ましてや他人のアレンジをあたかも自分たちのアレンジかのように、歌う前に誰のアレンジかも紹介せずに演奏するのは下品ではないだろうか?

思えばピアノの発表会でも「自分の名前」「演奏曲」「作曲者」は言っていた気がする。ちょっと記憶が遠くて自信が無い(笑)


長くなってしまうので編曲に関しては別に記事を書きたいと思う。
が、プロのアレンジを歌う時に完全コピーは歌い始める上では大切だがそこから一歩、自分たちなりの歌い回しが出来ているバンドは僕の中では一歩頭が飛び出ている印象を受ける。

そういう意味で、今日の浅葱はTry-Toneのコピーバンドなのだが、リードの中国人の子を初めとししっかりと和音をならした上で自分たちの色を乗せているからどんなライブになるのか今から楽しみである。もう少ししたらドリア食べて家を出たいと思う。

※バンドの楽譜に関しては「個人の編曲」と捉える人と「バンドの編曲」と捉える人が居ると思うので今後議論してみたいテーマの1つである。


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