パワーコードと平行5度について。


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趣味はアカペラ。和声の勉強は趣味のアカペラに困らない程度しかやっていない無知の大学生が適当に書いた記事が閲覧されていた事に恐怖しちょっと嫌な汗が出て来た。笑

どうも。
僕が以前書いた平行5度に関する記事がyahooの検索でヒットしたようでして。閲覧されておりちょっとびっくりしております!!!

上記した通り、僕はべつに和声を専攻しているわけでもなく無知の学生なのでかなり怖い。笑

そんな僕なりにちょっと補足したいことがあったので「パワーコードと平行5度」と題して記事を書かせていただきます。


【アカペラアレンジの平行5度について。】
【第二言語習得の視点から見る音感。】

以前書いた2つの記事を前提に少し書いて行きたいと思います。


まず“和声学”について考えてみたいと思います。

和声(わせい、戦前には「かせい」とも、英語: harmony)は、西洋音楽の音楽理論の用語のひとつであり、和音(英語: chord)の進行、声部の導き方(声部連結)および配置の組み合わせのことである。メロディ(旋律)、リズム(律動)と共に音楽の三要素のひとつとされる。
和声 – wikipedia

つまり西洋音楽における理論なのです。
先日中国人の友人が作曲した音楽を聴いている際に「あれ?」と思って調べてみたのがきっかけでした。中国っぽいなと思わせる彼の曲のコード進行が和声学の和声にのっとっていなかったのです。僕は詳しくないので確証は無いですが、おそらく中国音楽における音楽理論は和声では扱えないのかな?と思いました。


この僕の持論をサポートするyahoo知恵袋の投稿を発見したので参考までに載っけておきます。

それは、なぜかといいますと、和声法というのはそもそもすべての音楽のジャンルに通用するような規則ではないからです。さらに言えば、西洋音楽の中でもごく限られた時期の形式のみです。これは、スポーツで言えば、「バスケットボールで手を使用するのは、サッカーの規則的におかしくないですか?」というような感じの質問なんです。
メタルで使用するパワーコードは和声的におかしくないでしょうか?

この説明僕はすごくしっくり来たのですが、“和声学”的にどうなのかはちょっと僕にはわかりません(>_<)


【第二言語習得の視点から見る音感。】

の記事で友人のブログを参照しつつ「和声学=文法」と述べました。
「和声学=文法」と定義したときに、

【アカペラアレンジの平行5度について。】

で触れたように「楽譜=脚本」と考えます。


この時上記の2つを統合的に考え、「和声学のルールを破るのは脚本の台詞の文法がすっちゃかめっちゃか」って事になると僕は考えていました。

僕らが今現在日常会話で話している文章は文法通りの文章ではないし、“時には”それでも良いのではないだろうか、と僕は思っていました。もちろん必要最低限の文法は守らないと文章の内容すら伝わらないのと同じで、必要最低限の和声のルールは守る必要はありますが。

しかし今回僕の記事が閲覧されたことでちょっとまた色々調べ直した際に、「和声学のルールを無視するのは、日本語の文章を書く時に英語の文法を無視するのと同じ」って考え方もできるのかな?と思いました。


しかしだからといって好き勝手な音をおいて楽譜を作ったら気持ちが悪くて耐えきれないものになることに違いは無いです。“おしゃれなファッション”と”奇抜過ぎるファッション”が紙一重なのと同じように”おしゃれ和音”と”不況和音”も紙一重なように感じられます。

ルールを守る守らないにせよ、しっかりとあるべきルールを学ぶのは大切なのではないかと思う。そしてどの言語には文末に特有の記号が用いられるのと同じで音楽にも共通のルールは存在するかと思います。


この”和声学”をアカペラアレンジの際にどこまで参考にするか、と言うテーマは僕にとって永遠に切り離すことが出来ない課題のように思えました。


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