【アカペラ】なぜ声だけを使った演奏ならではの魅力が必要なのか?


声で演奏する意味を求めすぎ?
どうも!こんにちは!
突然ですが皆さんはどう思いますか?

「声だけで演奏する意味」

とやたらと求めている人っていませんか?

僕の周りにもいます。
僕は最近この「声ならではの意味」って「無意味」なのではないかと思い始めています。

なので、そのことについて少し書きたいと思います。


エレキギター
僕が「声ならではの意味」って「無意味」だなって思ったきっかけはエレキギターでした。

通勤中の電車でさりげなく音楽を聴いていた時に、アコギの曲とエレキの曲と交互に来たんですよね!

その時に思ってしまったのです。

「あ!ギター本来の魅力、とか言ってたらエレキギターはこんなに多彩なサウンド出せるようにならなかったな!」

と。

ピッチチェンジを駆使すれば誰でもTimやAviのような低音が出るし、

ボコーダー使えば誰でもJacobのようなオシャレな和音を1人で鳴らせるのに、

なんで自分を含めて誰もやらないのだろうか

と。


何故アカペラなのか?
それに加えて思ったのです。

一ヶ月に最低でも一回はTwitterで「アカペラは大道芸に見える」なんて投稿を目にします。

びっくり人間にならないように、音楽家であるように、って一生懸命「声ならではの意味」とか言いながら演奏しているのに悲しくないですか?

例えば自分がJacob Collierのように、いくつも楽器を自由に演奏できたとしたら、その時アカペラで自己表現をするかなって考えてみました。

僕の答えは

「NO」

だと思います。

もちろんコーラスが欲しいところはハモりますが、楽器の方が最適な箇所があれば楽器を使うと思います。

その上でアカペラで自己表現をしているのって「自分が一番アカペラが得意だから」「自分が表現するうえでの最善手」だからです。

じゃあ自分が表現したい音楽ベースで、必要であればガンガン声を加工してしまったほうが表現としてはよほど音楽的になるのではないかと思いました。


まとめ
とはいえ、声ならではの魅力ももちろんあります。

特に生声のアカペラを至近距離で聴いた時の感動は形容しがたいものがあります。

ただ、あの生で聴いたときのハモりや迫力を音源や映像で伝えるのが難しい以上は、

①自分が表現したい音楽を頭の中につくる!
②その為に必要なサウンドを追求する!
③その過程で「声ならではの意味」に固執せず必要であれば声を加工してしまう!

ほうがよっぽど「音楽的」な演奏になるのではないかな、

声の魅力にこだわりすぎて、そこに固執してしまったほうが「大道芸的」になるのではないかな、

という僕の仮説でした。

なにより世界的に激震を走らせたアカペラはこれでしたしね!


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