【アカペラ】自分なりの哲学を持って演奏や練習に取り組もう


自分なりの哲学
先日は「勉強しなさい」と言う記事をかきました。

参考:【アカペラ】音楽理論なんざ勉強したくないという人へ

今日はそこから一歩先に進んだお話をしたいと思います。

自分なりの哲学を持って演奏や練習に取り組もうねと言うお話です。


うまい or いまいち
僕は野球が好きなので野球に例えます。

最低限の音楽理論を勉強した奏者は、最低限野球のルールをしっている野球選手に過ぎません。

なので、そこから練習することで、野球が上手くなって行くわけです。

この時「うまい!」と感じさせる人と「いまいち!」って感じさせる人の違いとはなんでしょう?

僕は「哲学があるか」だと思っています。


脳筋野郎
例えばすごくパワーのあるバッターが居たとします。

感覚的にボールが来そうな場所に的を絞ってブンブンバットを振っているだけでは安定してホームランは打てませんよね。

当たれば飛ぶでしょう。
でも勘とバットが当たった時だけです。

じゃあ打つために彼らは何をしているのか?

野球の勉強をしたり、今までの自分の経験から、次に来そうな球を予測して狙って打っているんですよね!

キャッチャーも同じです。
なんとなく野球理論に従ってピッチャーに「この球投げてね!」と要求しているのではなく、バッターの思考を読んで「この球なら打たれない!」と言う球を選んで求めているわけです。


アカペラにおける思考
僕はこれは曲の組み立てに出ると思っています。

地声で平気でhiCとかhiDとか出せる男子は羨ましいです。lowBとかをしっかりとハモる声で歌えるベースも羨ましいです。硬い音でボコツカ連打できるパーカスもすごいと思います。

でも結局、彼らに哲学がなかったら「ただ高い声が出る人」「ただ低い声が出る人」「大道芸人」になってしまうんですよね。

何を表現したいのか、そのためにはどんな魅せ方をしたら良いのか、そこを考えられている人は例えオレオレ哲学でも、やっぱり一緒に演奏していても・演奏を聞いて居ても楽しいです。


まとめ
また、哲学をもっている奏者は失敗にも強い気がしています。

失敗から学ぶことができるからです。

こう考えてこう歌ったらこう失敗した!

ってわかっているので修正が効くんです。

録音を聴いてみたら意図していたイメージと違う!

考えが間違っていたのか、歌い方が間違っていたのか?

考えが間違っていた!

たぶんここはA案ではなくB案をとるべきだった!

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