【自己啓発】実家で母が作ってくれた幼い日々のアルバムを見ました


実家に帰った時に幼い頃のアルバム見ました
先日母に帰ってこいと言われ実家に帰ってきました。
疲れると風邪をひく僕を心配したのか土曜日の夕飯にはどうしても帰ってきて欲しかったみたいです。いつまでの心配されていてもどうしようも無いのですが、親に会えるうちに会っておきたいなと言う気持ちもあり夕ご飯だけ食べに実家に行ってきました。

その時に母が僕が幼稚園のころの写真が並べられたアルバムを引っ張り出してきまして。久々に自分の少々期の写真を眺めてきました。



父が若い!
まあ真っ先に思ったのは父が若いと言う事ですよ。笑
だいたいの写真は僕が1人で写っているものか父と写っているものでした。恐らく撮影者は母だったのだと思います。それにしても父が若いことこの上ないんですよ。今はもう白髪混じりの中年の親父なのに写真の父は僕となんら変わらない青年なのです。

「ああ時間これが時間の流れか。」

と、少し考え込んでしまいました。
僕ももうすぐ。後5年もすれば当時の父と同じ年齢になるわけでして、父になろうがなるまいが当時の父と同じように“大人”になっていなければならないわけです。


父との写真が多い理由
今この歳になってはじめてなんで父との写真が多いのか分かった気がします。
父は海外出張が多く僕が生まれた時もミャンマーの奥地で勤務していたそうです。1週間ほどかけて急遽帰国し僕の出生に立ち会いまた直にミャンマーに赴任していったそうで。あまりの奥地すぎて母との文通もままならなかったと聴きます。

そんな海外出張が多かった父のために母が父と僕の写真を撮っていたのではないかと思います。1人目の息子が生まれたのです。本来ならば側に居たいはずです。それでも1年の大半を海外で過ごす父が持って行くためにたまに日本に帰国した際には父と僕の写真を撮っていたのかなと思います。

中高時代は反抗期と言う事もありただひたすら毎日のように父と喧嘩ばかりしていましたが、今こうして大人と呼ばれる歳になってアルバムを見返すと少し親の気持ちがわかったような気がします。


遠足の写真と父
僕が通っていた幼稚園は定員割れをしていた田舎の幼稚園でして。
園児はなんと学年に9人でした。そんな9人での遠足の日にちょうど弟が風邪をひいたんですよね。当時弟は0歳。母が僕の遠足に同伴出来ず急遽父が同伴することになったのを今でも覚えています。なんせ終止泣きじゃくってお父さんじゃ嫌だってだだをこねたのですから。笑

ただですね。
今遠足の日の写真を見て僕は爆笑してしまいました。

父以外の大人は全員女性なのです。
「ぜ・ん・い・ん・お・ん・な」なのです。笑

状況を整理しましょう。

・わざわざ無理をして貴重な休みをとった
・周りは女性しかいない
・息子はずっと泣いている

もはや罰ゲームですよね。笑
しかも周りのお母様方ヤンキーママでタバコパスパスと吸っていたそうです。
僕が父の立場だったら逆に泣いていると思います。
父は大学院卒で入社しているのでまだまだ入社間もない若手。そんな若手が無理をして休みを取って息子の遠足に同伴してこの仕打ち。笑っちゃいます。今だからこそ「親父ありがとう」と言えます。


まとめ
働き始めてまあ自分で言うのもなんですが「忙殺」されておりまして。

毎日人にもみくちゃされながら通勤しているとたまに人生について考える事があります。何を隠そう後数年以内に僕は両親が僕を産んでくれた時と同じ年齢になるわけです。結婚とか子供とかそう言う話はわかりませんが、少なくともその歳の時には当時の父のようなカッコいい大人になっていたいなと思います。

反抗期にはあれだけやりあった父を素直に尊敬できるようになって良かったです。後5年もしたらもう一歩歩み寄って今度は親が見ていないブログではなく、本人の目を見てしっかりと、一緒にお酒でも呑みながら沢山のありがとうを伝えたいです。

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