【アカペラ】野村監督に大賛成!必ずしも良プレイヤーが良マネージャーとは限らない!


名選手、必ずしも名監督にあらず
参考:野村克也氏 王・長嶋が監督としてまったく怖くなかった理由

元楽天の監督として有名な野村監督のインタビュー記事です。

上記の参考記事では野村監督は
「苦労を知らない選手は絶対にいい監督にはなれない。」として持論を展開しております。

そして僕は野村監督の記事に物凄く共感し
同じことがアカペラにおいても言えるのではないかと思い
記事を書くことにしました。



1.これ(2軍生活)は今となっては良い経験
野村監督は入団以来スター選手として
最前線を走り続けた選手は自分が苦労した経験が無く
並の選手の気持ちや痛みがわからない
と発しております。

そして以下のように綴っております。

スター選手は自分ができたことは、
皆もできると思い込んでしまっている。
それを言葉に発してしまう。
「なんでこんなこともできないんだ!」という言葉が、
どれだけの選手を傷つけるか。

自分のレベルで選手を見るためにうまく指導ができず、
言葉より感覚を重視してしまいがちなのだ。

どうです?
これアカペラにも言えることだと思うのは僕だけでしょうか?

「音が当たってない」とか
「まずは音当てろ」とか
「なんで音も当たらないんだ」とか

いや僕はそれを言うこと自体は批判しません
言うからにはちゃんと指導しろよと思うのです。

相手が出来るようになるまで向き合えよと。

良プレイヤー(上手い奏者)と
良マネージャー(良いバンマスや先輩)を分けるのって
ここなのではないかな
と僕は思いました。


2.「若い時の苦労は買ってでもしろ」
じゃあなんで上記のようなマネージャーになってしまうのか?
それは「苦労した経験」が無いからだと僕は思います。

アカペラを始めた瞬間から「音とり」が出来た人は
「音とり」が出来ない人の気持ちや苦労を知る予知もありません。

なのでアドバイスのしようが無いってのはわかります。

だからこそ「音とり」に限らず
自分の苦手や自分の出来ないに積極的に飛び込んで
苦労は買ってでもすべき
だと僕も思うのです。

直接「音とり」ではなくても
例えば「リズム感」で苦労していたら
人の苦労や痛みが分かる人間にはなれます。

記事では以下のように書かれています。

天才的な選手だったが、
その余りある才能ゆえに苦労を知らず、
それぞれの哲学がなかった。

だから監督としてはまったく怖くなかった。

アカペラでも居ます。
何をやっても簡単に出来てしまう天才奏者。
きっと天才には天才の苦労もあると思うんです。

だから天才が悪いと言うつもりは無いです。
でも天才じゃなくても悲観することは無いのです。
寧ろ野村監督が言うように沢山苦労した人ほど
優れたマネージャーとしての素養がつく
と僕も思います。


3.目の前の試合に一喜一憂

王・長嶋に共通していたのは、
目の前の試合に一喜一憂していたことだ。

味方がホームランを打つと、
選手と同じようにベンチを飛び出してきていた。

これも凄く共感です。

バンドの舵を切る上で大切なのは
常に「次」を考えること
だと僕は思っております。

もちろん僕はベンチを飛び出して
一緒に喜ぶことを否定するつもりは無いですし
寧ろそうすべきだと思ったりもします。

でも皆とはしゃいでいる時も
マネージャーだけは常に次のアクションを
頭の片隅で考えていないとダメ
なんです。

「サークルライブに出演が決まって嬉しい!」

だけで終わるのではなく
他にエントリーしていたバンドの合否で
モチベーションが上下しているメンバーは居ないか気にしたり
本番までのマイルストーンを即座に考え始めたり
衣装のことや演出のことを気にかけたり

そしてどうやったらその次も出演出来るか
次回の作戦までを練っていない
となんです。

嬉しいときだけでなく悲しい時もです。
肩を落としていたらまた負けます。
次回は勝てるようにするにはどうしたらよいか
直に考えないとダメです。

常に1手2手3手先まで読んで
一喜一憂しつつも頭ではしっかりと次の行動が考えられており
それを実行に移せないとマネージャーは出来ない
と思います。

歌がうまいだけでは到底マネージメントも
人に教えることも出来ないのです。

例えば自分のバンドじゃないとしてもです。

自分が面倒をみていた
可愛い後輩バンドがオーデに落ちたとなれば
絶対に次は合格する姿を一緒に実現したいでしょう?

一緒に残念会してる暇なんて無いんですよ。


まとめ
僕は天才だろうが凡人だろうが沢山苦労すべきだと思います。

そしてその苦労を乗り越えたことを自慢するだけではなく
その経験を元に人に痛みが分かる人間になるべきだとも思います。

特に今の1年生に発信したいです。
4月になれば先輩になります。
アカペラ初心者の後輩をもつことになります。

1年生から見ると上手い先輩ってカッコいいです。
憧れになりますし背中を追われ続けます。
尊敬の眼差しも向けてもらえます。

でも憧れや尊敬だけじゃアカペラは続きません。

自分も苦労していて人の痛みがちゃんと分かる先輩が居て
初めてアカペラを楽しむための基盤って出来上がると思うのです。

僕はバンマスの仕事ってスタジオの予約とか
オーディションの申請とかそういう雑務ではなく
バンドメンバーが気持ちよく歌を歌える環境づくりだと思っています。

僕はサークルの先輩の仕事って
同じ趣味を持った新しい仲間がその趣味の魅力に気付いて
その趣味を楽しむ過程でに躓いてしまった時にそっと背中を押すこと
だと思っております。

もしかしたら魅力的な奏者になれないかも知れない。
それでも苦労した人なら苦労した人であるほど
優れたマネージャーになれると僕は思っています。


追記
奏者とバンマス/先輩に求められている能力って
そもそもからしてベクトルが違うのだなと考えるきっかけになりました。

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