珍しく検索エンジンから僕が書いたアカペラ記事が閲覧された。
StatPressの分析からたどってみるとどうやら以下のように検索されて、僕のブログまで着たようだ。
そんな馬鹿な。笑
どうも!
今日は新歓期と言うことで先輩後輩の縦のつながりについてちょっと良い話をしたいと思います。←
ことの発端は僕のサークルの「しゃけいくら」と言うバンド。新4年生と新2年生から組まれている混声5声バンドである。
僕はこの「しゃけいくら」と言うバンド名が非常に好きである。非常に好きなので、勝手にバンド名を解釈して勝手に能弁を垂れたいと思う。
ちなみにバンド名の由来はあくまでも僕が勝手に妄想したものであり、実際のバンド名の由来とは異なります。
鮭と言うのは産卵期になると自分が生まれた川に帰って来て全身ぼろぼろになりながらも上流まで川を上り卵を生むことで有名である。生まれた鮭は海まで流されて行きその家庭で成熟し大海原へと旅立つ。そして産卵期になると…ry
鮭は卵を生み死んでゆく。
その最後の大仕事の為に何度も何度も激流に体ごと突っ込み傷つきながらも上流を目指して川を上ってゆく。僕はまずこの鮭の生態に美学を感じている。
僕らは皆先輩に育ててもらった身である。
多かれ少なかれサークルのお世話になってない人等居ない。サークルに育まれ大海原へと旅立ち帰って来たのが4年生だと僕は思う。最後の1年サークルに何を残して行くかと言う問題である。
最後の1年、鮭に例えるならば産卵期が終わったら僕たちは散ってゆく。
そうした4年生の最後の集大成の1年をかけて育まれて行く後輩達こそがイクラなのだと僕は思う。
しかし孵化した鮭もその全ての個体が大海原へとたどり着くわけではない。だからこそイクラはたくさんの卵が連なることで出来ている。
孵化して大海原へと旅をして行くその過程で命尽きてしまうものも多いはずである。この海へと旅をして行くイクラが、鮭であった先輩が卒業したあとに残された後輩達である。
おそらく自分が愛情を持って接し時に厳しく時に優しくした後輩全員が海へとたどり着けるわけではないかもしれない。ここは綺麗ごとなしに敢えて厳しいことをそのままに書いている。サークルに対するモチベーション等の上下の中で海までたどり着けずに散って行ってしまうイクラも居るかも知れない。そもそも孵化することができないイクラも居るかも知れない。
それでもイクラを産まなければ鮭は絶滅してしまう。イクラを残さなければサークルはつぶれてしまう。
鮭となった僕らは、鮭として僕らを産んでくれた先輩と同じように今鮭を産む為の産卵期にさしかかろうとしている。今度は自分のためでなく、次の2年間3年間のためにイクラを産みたい。残り1年間激流を上りイクラを産むことが出来たら、先輩から脈々と受け継がれて来たものを残すことができたらと思う。
大海原を旅して来た4年生が今一度自分が産まれた川に帰って来てイクラを産んで散って行く。
「しゃけいくら」素晴らしい考えだと僕は思う。
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