及川知宣との出会い。



とりあえずこれを見て欲しい。

僕は今日目覚ましをかって久々に早々と帰路につき、辻堂駅で電車を降りると駅前でキーボを膝の上にのっけて引いているおじさんが居た。及川知宣である。


膝の上にキーボードをのせて引いている人が、しかもこのあめのなか地べたに座って引いている人が居たのは、珍しかったので思わずそっちをみてしまった。すると及川さんは引いていた曲を中断し僕を手招きして呼び寄せビラを渡して、

「1曲だけおつきあいください。」

と言って引き始めた。正直引いている最中も通行人を目で追ったり、曲を中断して人に声をかけたりしているので結局最後まで客は僕1人だった。



初めは聴いているのにいちいち曲が止まる事が嫌で仕方なかった。オーディエンスがいるのにプロ意識がたりないんじゃないの?とも思った。

しかし結論からいってしまうと、ピアノが流れている時間帯だけはまぎれも無く時間が止まっていた。疲れや眠気を忘れて及川さんのかじかんだ指が一生懸命奏でる旋律に聴き入っていた。


僕はクラシックが好きだ。
自分がピアノをやっていた影響もあると思うが音の流れが一番よくわかるのがクラシックだ。コードが作る雰囲気の中で旋律がオーディエンスを曲の世界へと引き込んで行く。そこにはまぎれも無く現実の時の流れに逆らった世界が広がっている。

結局最後の及川さんの勝負曲と思われる曲は色々とごだごだがあり聴く事ができなかった。が、それでも十分有意義な音楽鑑賞の時間だった。


聴いている時に僕は考えた。
一見集中力がないように思えた、演奏中のビラ配り行為等も意味があるのかもしれない。

オーディエンスであった僕にとっては少し残念な点でもあった。でももしかしたらその行為が残念だと感じたのは僕だけかも知れない。僕が及川さんの表現を受信しきれなかっただけかもしれない。10分以上は聴きぼれてしまっていたのだが、聴いているうちに初めは嫌だった中断行為も気にならなくなったのは、上手く言葉にできないが、及川さんの演奏に力があったからだと思う。

良い年のおじさんだ。おそらくピアノ1本で食べるのは辛いのだろう。鞄に無造作に詰め込まれたビラやビニールぶくろに入れられた自身のCDからもひしひしとそれが伝わって来た。

しかし、それでも自身の表現方法である音楽の世界に身をおき、この冷たい雨の中で真っ赤に霜焼けてかじかんだ指から産み出される音楽はどこか幻想的で僕の心には届いて来た。


「君はなんのために生きているの?」
友人がキャリア開発コンサルタントと面談をした際に言われたらしい。

「僕はなんのために生きているのか?」
今のままだと僕の人生はnull objectに打ち当たるたびに右へ回避するように作られたjavascriptとなんらかわりは無い。しっかり人生の「目的」を考えてそのために「好きな事」を思い切りやって生きて行きたい。


最後まで読んでいただきありがとうございます。もしこの記事を気に入って頂けたようであればシェアをお願い致します。非常に励みになります。


2 comments to this article

  1. うさこ

    on 2014/09/18 at 21:23 - 返信

    私も今日この人の演奏をはじめて聞いてCD一枚買ってしまいました。私も上に書いてるような印象もってしまいました。CDは私のプレイヤーで残念ながら聞けなかったので、youtubeを検索して何曲か聞きました。及川さんの演奏は中断が多く、演奏自体あまり聞けなかったのです。ただ、凄いということはわかりました。私自身も音楽がすきで、クラシックも聞きます。
    この記事を見て思わずコメントしてしまいすみません。

    • mokabuu

      on 2014/09/19 at 01:29 - 返信

      コメントありがとうございます!
      及川さんの演奏ってどこか幻想的で独特の空間が広がっていますよね。CD残念です…。僕もこの日以来及川さんにお会いする機会に恵まれずあまり及川さんの演奏をお聴きする事ができていないのですが、またいつか聴きたいなと思っているアーティストの1人です。

コメントを残す