昨日今日と後輩と組んでいるバンドがサークルの新歓ライブに出るのでアカペラの練習に没頭している。
ちなみに夜は毎年3夜連続で行われている僕の住んでいる学生マンションの新歓であたふたした生活を送っている。1年生と言うのは入学当初はやはり意識が高いもので、その中で1年生にとって有益と思われる話ができるのもインターンをやっていたおかげなのかな?なんて思いつつ日々を過ごしている。
昨日は日曜日&雨&増税前と言うことで道路状況が非常によろしくなく、バスが来なかった。そのため練習場所まで45分ほどかけて歩いて向かったのだが言うまでもなく昨日の大雨にやられてびしょびしょになってしまった。
練習の際に映像を撮影したいとのことだったのでバンド衣装で家を出た僕は衣装がびしょびしょになってしまった。
そんなこんなで雨に打たれながら全身ずぶぬれになりながら考えていた。
「もうしばらく雨の日は外に出たくないものだ。」
と。
「雨に濡れることで受ける精神ストレスをどうやったら取り払えるのか?」
僕はこれを考えながら45分間黙々と雨の中を歩いてみることに決めた。
この時僕は以前聴いた「理不尽を受け入れる」と言う話を思い出した。誰の話だったかは忘れてしまった。おそらくどっかのビジネス書に記載されていたものだと思われる。
この世には理不尽はつきものである(この世には雨はつきものである)。そこでそんな時に理不尽を(雨を)受け入れるための方法は3つある。
❶「自殺」・・・諦めて命を断つ(諦めて外出しない)
これは就職活動が上手く行かなかったからと自殺してしまう学生を確かさしていた気がする。なんで私が?なんであの子が?そんなことは良くある。この世は理不尽の固まりだと僕が以前読んだコラムには書かれていた。しかし命を断たずとも「諦める」方法は存在する。
❷「宗教」・・・神の存在と死後の世界に夢を抱く(雨に濡れることを気持ちいいと思う)
これは宗教に没頭することで精神を殺し理不尽を試練として受け入れることだと本には書かれていた。これを雨に置き換えるのはちょっと難しかったが、まあ雨に例えるならばこんな感じなのではないかな?と思う。
❸「受容」・・・この世に理不尽はつきものなんだと割り切る(雨は降るものだと割り切る)
これが一番良いように思える。どんな理不尽に直面しても(たとえ雨が降っても)もともとこの世なんてそんなものなのだと最初から割り切っておく。最初から理不尽(雨)は所与の条件として考えておく、と言うものである。
この中だと❶や❷はあまり具体的な解決策になっては居ないと僕は思う。諦めて外出しない、なんて出来ない時の方が多い。雨を信仰しても何か生まれるわけではない、目の前の濡れると言う負担から目をそらしているに過ぎない。
すると❸、受容した上で、雨は所与の条件だとしてどうしたら良いか考えるのがベストなのである。そこで雨に遭遇しない対策を考えるのは賢くない。だって雨は「所与」として考えているものなのだから。
雨は仕方ないと考えると、そこでストレス軽減に務められる内容。着替えを持って行く、予め濡れることを想定しサンダルで出かける、とかになるのかな?と思っているところで目的地についてしまった。
雨が降っている。
その中で45分あるかなければならない。ではそこでどのような問題が想定されるのか?そして何をしたらその問題を未然に防ぐことが出来るのか?
また雨の日に歩くときは続きを考えながら歩きたい。
次に雨の日に歩くのが少し楽しみなった。
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