知らない事は知らないと言う勇気。


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写真は先月父が出張の際に撮影してきてくれた僕の母校の写真である。

アメリカ合衆国カリフォルニア州パロアルト市にある中学校だ。


僕は色々と面倒くさいのが嫌だったので大学では帰国子女だと言うことは極力言わないようにしてきた。

そして厄介ごとに巻き込まれると察知した瞬間に帰国子女でないふりをしたりしたこともあった。


しかし今自身の研究だったり、年を追うごとに考え方がかわったりで、以前に比べれば自身が帰国子女であることをしっかり言うようになった。

すると、就活の時期と言う事もあり、人事の方だったり同期だったりどこに言っても色んな人にどこにいたのかとかそこから何を得て来たのかとか聴かれる。


カリフォルニアのパロアルトと言うとスタンフォード大学で有名である。しかもシリコンバレーのベンチャーの湿地帯。色んな人が決まって、

「良いところですよね」

と、言う。ぶっちゃけしらない。小学校5年生から居たのだ。小学校5年生がそのありがたみを100%理解していたら怖すぎるぞ。


ここで「当時は小学生だったのでそのありがたみに十分に気がつけませんでした。」と言う事を最近大事にしている。

ぶっちゃけ今思い返せば色々当時の経験をさもそれっぽく話す事はできる。でもそんな甘いもんじゃなかった。渡米当初はずっと「生きて帰りたい」ってことしか考えていなかったし、いきなり現地校に放り込まれた事で親を恨めしく思ったりもした。英語も暗号にしかみえなかったし。


日本の中学に帰って来て初めて少しありがたみがわかったところがあった。

今こうしてblogを自分で運営できているのも現地校に言っている時にxangaと言うサービスを使っていたからだ。っていうかxangaを謳歌するだけの技術を自由選択の授業で学べたからだ。


僕はubuntuが大好きである。
ubuntuが好きというよりはlinuxが大好きである。理由は単純でソースが全てオープンだからだ。そもそもubuntuがしっかり使えるのは当時の経験が絶対生きている。

このように今になって繋がる事は本当に多い。しかしそういったオープンソースプログラムを使ったベンチャー企業が多かったり、優秀な大学が近所にあったり、appleからパソコンが支給されたり、そういう恵まれた環境であったことは間違いないが、小学校5年生にはその魅力はわからない。わかったほうが凄い。

今からしてみれば“世間一般の人がもつシリコンバレーのイメージ通り恵まれていた”と思うが、中学生からしてみれば”毎日マンションについているプールでおよいで近所のテニスコートでテニスをして、日が暮れるまでストリートでバスケットボールをして学校では大好きなプログラミングを学べた事が何より楽しかったし恵まれていた“と思う。


知らない事はしらない、分からない事はわからない、違う事は違うと胸を張って言うべきだ。

僕にとってのアメリカシリコンバレーは、夕方になったら家族そろって公園に行ってテニスができるワークライフバランスの充実した地域である。


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