【雑記】日本におけるBlack Lives Matter(差別/偏見)


BLMは黒人差別の問題じゃ無い

昨今話題となっているBLM(Black Lives Matter)の一連の騒動について思うことを記します。

端的に言ってしまうと、ことの発端は、アメリカを中心とした根深い黒人差別に対する反対運動です。

ただし、このBLMの本質は(少なくとも私の身の回りを見る限りでは)単なる黒人差別の問題では無いと捉えています。

これは「どの国/地域にも無意識のうちに根付いている差別・偏見に対する撤廃運動」だと僕は捉えました。


日本における差別/偏見

僕は、日本でも差別や偏見の目は根深く残っていると思っています。

  • 在日外国人への差別/偏見
  • 居住地域への差別/偏見
  • 年齢への差別/偏見
  • 性別への差別/偏見

性別に対する差別や偏見は「男女雇用機会均等法」や「男女参画社会基本法」によってこの数十年でかなり改善されつつはあるのではないかと思います。

年齢への差別/偏見は、日本に根深く根付いている儒教の影響もあり、すぐには拭えないかもしれません。個人的には目上の人を敬うのは悪いことでは無いと思うのですが、年齢/経験年数などの裏に根付いた無意識下での偏見は、令和の時代で徐々になくなっていくと良いなと思っています。

居住地域や外国人に対する差別/偏見も次第に無くなると良いなと思っています。どことは言いませんが、駅名を聴いただけで「ヤンキーが住む町」とか「治安が悪そう」とか、そう言う偏見は今も根深く残っているのでは無いかと思っています。これはアメリカの黒人差別に酷似していて、1960年代のころから根深く残っている「ああ、あそこのストリートね!黒人街の!」という居住地ならではの差別に似たものを感じます。

在日外国人への偏見も同じです。外国人の方が職務質問を受けた、外国人というだけで入店や宿泊を拒否された、などの話も耳にします。


意識して改める

BLMは「アメリカにおける黒人拉致/奴隷化の歴史の精算」ではなく、全世界に対して投げかけられている「差別/偏見の撤廃運動」なのだと僕は捉えています。たまたまアメリカでは黒人への人種差別問題だっただけであり、国/地域が変われば、それぞれの国/地域にそれぞれの差別/偏見が根付いていると思うんです。

例えば飲み会に半ば強制的に連れ去られた社員が「なんで、おっさんの飲み会に付き合わされなきゃいけないのか意味がわからない。昭和の古臭い考え方で飲み会を強制しないで欲しい。」と呟いたとしましょう。

本人は、多少の苛立ちや怒りから刺のある言葉を選んでいるのでしょうが、あまり差別だと思って言葉を選んでいないと思うんですよね!

例えば、同じシチュエーションでも「なんで、仲良く無い人との飲み会に付き合わされなきゃいけないのか意味がわからない。昭和の古臭い考え方で飲み会を強制しないで欲しい。」とかでも良いわけじゃ無いですか!

この例だと、まずは無意識に年齢への差別があったことを認めて、意識的に差別的な発言を減らすように心がけていく必要があるのではないかと思っています。


まとめ

Black Lives Matterを字面の通り「黒人差別反対運動」と捉えるのではなく、「世界中の各国各地域に根深く残る差別/偏見への啓蒙運動」と捉えて、一人ひとりが身近な差別や偏見について考え直す機会となることを切に願います。


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