【読書感想文】岩本悠「流学日記」を読んで①【支援とは何か?】


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いきさつ

高校時代の「自称・俺は人に本を勧めたりしない男」から「どうしてもこれだけは読んでみて欲しい!」と紹介された本を読んだので久々に読書感想文と言うものを書いてみたいと思います。

ただし感想全てを書くと本当に長くなってしまうので記事を2つか3つにわけて書いて行きたいなと思います。1本目の今日は「支援」について。障害者支援とか国際支援とかいまや世界中には様々な支援が蔓延っていますよね。そんな支援についてこの本を読んで思った事を書いてみたいと思います。



平等とは何か?それは支援なのか?
マザーテレサが建てた障害児のための孤児院には「ご飯は残さず食べましょう」と言うルールがあり、<平等>の名の下みんなに同じ量のご飯が支給されていたそうです。ここで岩本さんは<平等>とはなんぞやと言う事について言及しております。

  • 体の大きな子も小さな子もいる中で、全員に同じ量のご飯を、時にはご飯を食べきれない子供の口に無理矢理押し込んで最後まで食べさせる事が果たして本当に<平等>なのか。
  • 食後はトイレと寝るだけの子供に何故そこまでしてご飯を急いで詰め込むように食べさせるのか。

そして、障害の軽い子供の手にはスプーンを括り付けスプーンでご飯を食べる訓練をさせているそうです。僕はどことなくナイチンゲールの話を思い出しました。岩本さんは障害の軽い子供達の手にスプーンをくくりつけスプーンでご飯を食べるように調教している様を以下のように表現しておりました。

なぜ子供達はスプーンを使わなければいけないのか。
一生施設で暮らして行くしかない子供達。それなのに何故マザー達の習慣を押し付けられなければいけないのか。
彼らがスプーンで食事を出来るようになって誰が喜ぶのだろうか?
それはペットに芸を教えているのと同じなのではないだろうか?

次の項目にも繋がって来るのですが、支援や援助とは往々にして習慣や価値の押しつけであることが多いように思われます。特に斜体部を読んだ際には考えさせられました。一生施設で暮らして行く喋る事も出来ない子供達にスプーンを腕にくくりつけてまでスプーンで食事をとることを強要して何になるのか。考えものです。


国際支援・ネバーランドに入って行った大人達
まず少し僕の意見を書かせてください。
僕は国際支援と言う言葉が大嫌いです。実際に支援をしている方々とお話しすると毎回否定されますが、支援をするからにはそこには上下関係が産まれてしまいます。「学校を建てて”あげる”」だとか「服を寄付して”あげる”」だとか。「現地の貴重な土地に学校を建てさせて”いただく”」とか「現地で自国で要らなくなった服を配給させて”いただく”」とかそう言う考え方が無いんですよ!

本当に阿呆臭いと思いませんか?そう思っていた時に岩本さんの文章を読み心に刺さりました。


ネバーランド(アフリカ)の住民はピーターパンだと岩本さんは綴っておりました。
現地には「時間」と言う概念がなく皆「ぽれぽれ(ゆっくりゆっくり)」生きているそうです。だから「〜歳になっても」とか「〜歳のくせに」と言う概念も無いそうです。進学の時期も親がタイミングを見計らって決めます。もちろんそんな生活ですから年齢もありません。大人になっても怒ったらどつきあい、悲しかったら大声で泣き、仲直りしたら抱き合い、楽しかったら腹を抱えて笑い。そんな生活がアフリカにはあるそうです。

ところがね!

そんなネバーランドにも外の人間が入って来て「ちゃんと時間は守りましょう」とか「子供はちゃんと学校へ行って勉強をしましょう」だとか自分たちなりの<教育>をしているそうです。

アフリカでは1週間前まで元気だった子供も風邪をひいたらコロッと死んでしまうと言います。だから彼らはその日その時を生きており、彼らにとって確かなのは今であり、だから時間に捕われずに生きていると岩本さんは綴っております。

このまま国際支援が続いたら地球からネバーランドは無くなってしまうと思うと僕はぞっとしました。


その常識だれの常識ですか?
本の中で岩本さんはヨルダンを訪れた際に「インディージョーンズの舞台になった遺跡に行くように。」と言われたそうです。そこで「でも俺(岩本さん)は人にあって人と話すことに興味がある。」と言うと「今ここでしかできないことをやりなよ!」と言う風に諭されたそうです。

「今ここでしか出来ない事をやるべき!」

「これはやりたい事の無い人にとっての常識だ!」と岩本さんは書かれています。
「必ずしもやりたい事がここでしか出来ない事とは限らない」ってね。

感銘を受けました。
我々は日々の生活の中で誰が決めたわけでもない<常識>に縛られて生きております。例えば学校に行って勉強をしなければ行けないとか、勉強をしなければ大人になって困るとか。確かに日本で平日早朝から都心をシコシコと歩く大人になりたいのならばそうなのかも知れませんが、それを<常識>と呼ぶのはどこかおかしな話だなと思いました。

そんな<常識>のもとに支援をしてしまうからこそ、孤児院やネバーランドの話が出て来てしまうのかなと思いました。

ちょっと頭が柔らかくなった気がします。笑


まとめ
他にも岩本さんが世界をまわってみて来た「すれ違い」が多々書かれておりました。
例えば衣類を支給することによって現地の産業が廃れてしまう現実などなど。僕も他人に本をすすめることはあまりないのですが、国際支援に興味のある方または従事しているかたには絶対に一度読んでみていただきたいなと思いました。

次回はアイデンティティーについて感想を書いてみたいと思います。


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