フェレットを看取った話〜テン 6歳10ヶ月・副腎炎〜
この記事について
この記事の目的のうち50%はフェレットちゃんの飼い主さん、特に終末期のケアにあたっている方々に向けた情報共有です。我が家もテンの介護をするにあたって、他の飼い主さまのブログを参考にさせていただきました。
なので、我が家の体験記もきっと他の飼い主さんの参考になる日がくると思い久々にブログを書こうと思いました。
そしてもう1つが飼い主としての気持ちの整理です。テンは僕が妻と結婚する前から(同棲している時代から)大事な2人目の家族として暮らしてきました。そんな従業員番号2番の彼女への想いを記事に残しておきたいと思います。
Part 0. テンのプロフィール
前情報として、テンの簡単なプロフィールを紹介させてください。
なお、彼女が我が家の記念すべきフェレット1号です。
種類 | ホールデンフェレット(カナダ) |
性別 | メス |
生年月日 | 2018/11/09 |
お迎え | 2019/01/02 フェレットワールドららぽーと店さん |
病歴 | ヘリコバクター 副腎炎(3歳のころ発症) 心臓病(5歳のころ発症) |
Part 1. テンの介護と死因
もともと、副腎炎と言われていたことに加え、5歳ごろから心臓の弁が緩くなって血流が微妙に逆流していると言われていました。なので、月に数回エキゾチックアニマルの専門病院に通い、検査をしてお薬を出してもらってきました。
テンは我が家にとって初めてのフェレットだったので、お迎えする際に寿命について尋ねたのですが、その際には「5〜6歳」と聞いていたため、大往生だったのではないかと思います。ポン太が1歳4ヶ月にして急性白血病で亡くなっていたので、テンには早期からしっかりとした医療が提供できてよかったと思っています。

今年の7月にある日突然後ろ足を引きずり歩けなくなったときはもうダメかと思いましたが、そこから持ち直して9月12日に息を引き取りました。7月に体調を崩した頃から、うんちが発酵したような臭い匂いになったことは覚えています。また、肛門から分泌液のようなものが出るようになり、ケージや部屋の床をこまめに掃除するようになりました。
そんな背景もあり、7月8月までは定期的に専門の医療機関に通院していたのですが、9月5日から意識が低下し始めて、9月6日には食事ができなくなり、先週の通院日はテンはあえて病院には連れて行きませんでした。手足が冷たかったので、飼い主判断でインスリノーマを疑い低血糖を抑えるためにステロイドの処方をお願いしました。
ステロイドが効いたのか、9月10日の朝はエサを2粒ほど、9月11日の夜はエサを10粒ほど食べてくれたのですが、9月12日の夕方に妻が帰宅すると全身が冷たくなり始めており、息をするのがやっとの状態だったようです。
最後の1週間はバイトやお水を人間の指で口元に運んでもらって舐めるのが基本の栄養補給になっており、引用させていただいたブログさまに書かれていたのと同じような経過を辿りました。おかげで飼い主としてもしっかりと準備や介護ができたと思っています。
最後の通院を見送ったため直接的な死因は分からないのですが、Google搭載のAI(Gemini)に調べさせたところ副腎炎を患った終末期のフェレットの特徴と一致していました。
フェレットの副腎炎(多くは副腎腫瘍)の終末期には、体温低下、元気消失、食欲不振、呼吸困難、痙攣などの症状が見られ、進行すると死に至る可能性が高いです。この段階では、症状の緩和と生活の質の維持を目標に、対症療法を行うことが一般的です。獣医師は、個々の状態を評価し、最適な治療法やケアについてアドバイスを行います。
Part 2. テンとの想い出
本人の名誉のためにも若いころの写真も交えて振り返りたいと思います。もともと美食家で寝るのが大好きな子でした。お迎えの日も、お迎え準備をしてもらっている間に寝てしまって記念写真やバイトの味合わせのために起こしたのは良い想い出です。バイトも好きなメーカーが決まっており、そのメーカーさんのもの以外は舐めませんでした。ちなみにこの黄緑色のハンモックも彼女のお気に入り。お迎えから数週間で出会ってから生涯このハンモックで過ごしました(同じハンモックを大人買いして使いまわしました)。

おてんば(だからテン?名付け親は妻)なところもあり、お迎え後の帰りの車の中で段ボールを破って出てきたのは今でも忘れられません。慌てて高速道路を降りてコインパーキングに入りキャリーを組み立てました。特に、店員さんからジステンパーウイルスについて説明を受け、絶対に外に出さない・触る前はアニピカクリーンで手指衝動をするように言われていたのでかなり焦ったのを覚えています。
こちらも初めてのフェレットだったので、なかなか懐かせるのも大変で、手にたくさんの穴を開けながら仲良くなりました。お迎えして半年が経つころには名前や芸も覚えて。それがきっかけでポン太をお迎えしたのも良い想い出です。

コロナ禍の在宅ワークのときは写真のように飼い主の膝の上に来てはオヤツをねだる可愛い子でした。特に「ぐるりん」という掛け声に合わせて回る芸を覚えてからはずっとぐるぐる回って大好物のバイトを要求していました。
テンの最高体重は900g、ポン太の最高体重は1600gと、体格差が倍近い2匹でしたが、よく朝方になると喧嘩していました。喧嘩して悲鳴が聞こえると、妻が起きていって2匹を放牧していたので、それに味を占めたのでしょう。

ポン太が死んでしまって、新入りのまるが来たときは大変でした。まるに全身コロナが見つかったため、2匹の飼育部屋を完全隔離。テンは人間の寝室に引っ越してきました。テンを放牧しながらベットで寝転がっていると、ベットによじ登って顔のところまで起こしにきてくれました。

ピンポンボールを鼻で小突いて転がして遊ぶのが大好きでずっと追いかけていました。6歳になってからも体調が良い日はこの遊びをしていた気がします。写真は3歳ぐらいの時のテン。ピンポン玉を咥えてみたら牙に刺さって抜けなくなっている時です。笑

ロープボール(テンが「あぐあぐ」と噛み続けたので我が家での呼称はアグアグボール)も好きだったテン。ひどい時には歯茎から出血するまで噛み続けて遊んでいました。

まるとももの全身コロナが陰性になった後は3匹セットで飼育していました。テンは体重1600gのポン太とのフェレットファイトで鍛えられており、常にリーダー的な存在と強さを誇っていました。妹や弟の喧嘩を仲裁したり、2匹がやりすぎた時に制裁したり、良いお姉ちゃんだったと思います。


4歳ごろから副腎炎が悪化したのか、尻尾が剥げたり、イン部が腫れたりしてきました。この頃から、通院して注射を打つ形で内科的な療法を試みていました。まる・ももと並んだ時にしっぽが禿げちゃっているのが目立ちます。注射を打たれているため背中の毛も薄くなっています(写真は2025年7月のもの、亡くなる約2ヶ月前)。

こちらは亡くなる数日前の写真。朝から放牧を求められ妻が少し出してあげた時に撮った写真。最後の2ヶ月で一気に全身の毛がなくなり痩せ細ってしまったように感じます。最後に通院した時の体重が700g台だったので、エサが食べられなかった最期の1週間は600g台まで落ちてしまっていたのではないかと思います。

テンありがとう!
気持ちに整理をつけるためにブログを書き始めたのですが、今はまだ心の整理ができていないことに気がつけました。気持ちも心も整理できておらず、言葉が出てこなかったです。
それでも、我が家とフェレットを繋いでくれたテンには「ありがとう」と伝えたいです。そして、夕方まで頑張ってくれたおかげで妻と息子が看取れました。週末まで頑張ってくれたおかげで家族全員で見送ることができました。まだ4歳の息子も、命について考えるキッカケになったように見えます。テンちゃん、最後までしっかりとした良い長女でした。
後悔がないかと言われたら、後悔は星の数ほどあります。例えば、9月12日の朝、妻がふやかしご飯を舐めさせてから家を出てくれたので、僕はバイトも水も指からあげずに家を出てしまいました。その日が最期になるなんて思っていませんでした。なんだかんだ1週間頑張ってくれましたし、木曜日の夜にはカリカリご飯も10粒口に入れたので油断しました。
テンとの6年半は大切な時間になりました。思い出は大切に胸にしまって、今は整理のついていない「ありがとう」と「寂しい」にしっかりと向き合って行きたいと思います。
ご参考:全身性コロナウイルスの闘病記事

