母の愛情のあるべき姿と競馬。


久々に夜更かしをしている。
0時をまわったのに布団に入らないのは3日ぶりだ。
なんだ、まだ3日か。←

せっかくの自分の時間なので久々にゆっくりと記事を書きたい。


誰の言葉だったか忘れてしまった。

「母の愛情」が10あるとする。
2人の子供が居た時に、母はそれを5と5に分けてはいけないと言う。
10の愛情があるならば、双方の子供に10ずつ分け与えるべきだと。

僕はこの法則を勝手に「かけ算の定理」と呼んでいる。


何故こんな話しを急にしたのか?
朝の満員電車にのっていると決まって必ず最低でも1人はスポーツ新聞を読んでいる人がいる。その時に、2011年に発売された「億馬券」と言うものを思い出した。


億馬券はその日に行われる5レースの勝ち馬を全て当てると、100円で買った馬券が1億円に化けるというものである。

しかし現実は1000万券中5枚も当たれば良い方らしい。僕は競馬には疎いので実際のところはよくは知らない…。


1000万券のうち的中者は6枚。
残りの9999994券を買ったものははずれくじを引かされている事になる。

つまりさっきの母の話と照らし合わせると「かけ算の定理」は成立しないのだ。


当然競馬のシステムから考えると、はずれが多ければ多い程当たりの額は膨れ上がる。

個人の大きな富と幸せの裏に、悔し涙を流すものもいると言う事だ。これは言わば避けられない摂理でもあるように思える。


運動会の徒競走でも、受験でも、就職活動でも、何をしていても必ず勝者と敗者が出る。

これをさけて皆で1ミリも狂わず足並みを揃えていたら個人も社会も国も何も成長しない。ただの仲良しごっこになってしまう。


そして、悔し涙を流すものが陰で居るからこそ生まれる幸せも忘れてはいけない。

幸せは必ず誰かの不幸の上になりたつ。食事をとるだけでもそうだ。もしかしたら今自分が食べている肉は誰かが大切に愛情を混めて育てて来た牛かもしれない。たとえそうでなくても、私に食べられる為に殺された牛は不幸であっただろう。


しかし「かけ算の定理」が机上の空論だとしても、空論に限りなく近づくことはできる。

2011年の春の段階で「億馬券」の収益のうち8億円が震災復興にまわされたと言う。


そう考えると、100円分の不幸で震災復興に繋がるのだったら募金をするつもりで馬券を1枚買うのも悪くはないかも知れない。


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