どうも!
突然ですが共感覚の説明から。
共感覚とはある1つの刺激が他の刺激を刺激することです。
めちゃくちゃ刺激しまくってますね。笑
もうピーがピーになっちゃいそうです。
ピーじゃわかりませんね。笑
例えば皆さん「色聴」って聴いたことありますか?
音を聴くと色が見えるってやつです。
これは結構多くの人が”共感覚擬き”としてもっているのではないかと思います。
今日帰宅途中にふと共感覚について記事を書こうかなと思い立ったので
思い立ったが吉日!書いてみることにしました!
別に僕は共感覚を専攻していたわけではないので細かいことは分からないのですが
自身の体験を元に何で音が視覚(色)として認知されるのか考えてみました。
一瞬で答えにたどり着きました。
僕の場合は6歳からはじめたピアノが強く影響しているのだと思います。
ピアノをはじめた時に僕はまあ当然ながら楽譜が読めませんでした。そこで音符を色鉛筆で塗って自分が分かる形で視覚化する練習をさせられました。まあこれが良いか悪いかは置いておいてこの作業によって色聴と言うさもカッコ良さげな能力を身につけられたのではないのかなと思います。
しかしここで1個問題があります。
その音をその色で塗ったのは僕だけなのです。
仮に僕がドを赤で塗っていてA君がドを青で塗っていたら両者の間でドの表現に揺れが出来るはずです。ピアノでは黒鍵を使わないハ長調の曲が白っぽいイメージで知覚されていても、他の楽器だと事情はことなりかねません。
共感覚は物凄くアバウトなのです…。
※それでも多くの人が同じ色を感じている事実が不思議でなりません。
そして時にはメロディーや和音を聴いた際に情景が見えることがあります。
これも共感覚だと僕は思っています。
例えば僕が初めて弾いたト長調の曲は「まきばのなんちゃら」でした。
※残念ながら朝ではありません…。
確か15年以上も前の記憶を呼び起こす限りだと
バーナムピアノテクニックと言う指の運動を行うドリルに載っていたものです。
そのせいで僕の中ではト長調は青い空の色として認識されています。
例えばHigh School Musical3だったら僕の故郷でもある
カリフォルニアの透き通る青い空と広い芝生のグランドが連想されているわけです。
これはもしかしたら
曇り空が多く青空が余り見えない地域で育った子供が聴いたら
共感してくれない感覚かも知れません。
まとまりもなくつらつらと共感覚について書いて来ましたが
この共感覚は非常に興味深いです。
なぜならば同じ完成をもつ人間等この世にただ1人として存在しませんが
その事実とは裏腹に音楽がもつ芸術的側面は大体聴覚と連動して
どこか別の五感でも感じ取られるケースが非常に多いからです。
ある人が「酸味の中にほんのりした甘みがあるリンゴの味」を連想して書いた曲を
全く違う文化に触れて来た別の人は「ガラムマサラの中に香る父の匂い」と捉えるかも知れません。
味覚ではなくて嗅覚。
それも意図したニュアンスのものとは全く別のもの。
こういったことも多いにありえるわけです。
そう思うと音楽的ルーツと共感覚って研究してみたら
凄く面白いのではないだろうかと思いました。
※先進国では普及している楽器や曲のパターンも共通性があるので
ある程度共感覚として認知されるものも似通ってくるのはわかりますが
果たして厳重民族の方々も同じようにその音を知覚するのか凄く気になります。
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