【学業】年収250万?大学生活4年間で1000万円の価値を産み出せたのか?


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僕の4年間に両親が払ってくれたお金
生活費:10万円 x 12ヶ月 = 120万円/年
学費 :130万円(初年度は150万円)/年
年費 :250万円

4年間合計:約1000万円

物凄くアバウトな計算ですが、慶応義塾大学環境情報学部に4年間所属するにあたり親が僕に払ってくれたお金です。来年度貰える予定の僕の初任給では1年間1円も使わずに働いたとしても払えない額です。大学入学当初は「100,000円の中で家賃・光熱費・携帯代・食費すべてやりくりしろ!」と言われ「無茶だ!」なんて思っていましたが、4年生の卒業間近のこの時期にふと自分の4年間にかかった費用を計算してみて絶句しました。



母の教えは文武両道
親も「大学では勉強だけを頑張いるわけではなくサークル活動にも情熱を注いでいること」に理解を示してくれました。母は中学高校大学とずっとバレーボール部に所属していたため常に「文武両道」を口うるさく言っていました。勿論部活動で手を抜けば怒られましたし、逆に定期テストの点数等がふるわなくても怒られました。ましてや我が家では帰宅部なんて以ての外でした。だからこそ部活動が消極的な高校に進学した時は母を物凄く悲しませてしまいました。

その教えもあり、人より一足遅れてサークルに入会してからはサークル活動にも一生懸命取り組んできました。その中で、高校では見せる事が出来なかった趣味(サークル活動)に取り組む息子の姿として2012年に自身がプロデューサーを務めたコンサートやBerkanoと言うバンドでの幾多のライブを親に見てもらえた事は何より嬉しかったです。高校生活3年間+1年の浪人生活の中で腐っていた僕をアカペラサークルに引き込んでくれた友人の愛明には心から感謝しています。


「人がやらないところまでやれ!」と言う父
父の実家は新潟県の山奥です。父親が見ていない僕のブログだからこそこの場をおかりして告白すると僕は父を心の底から尊敬しています。

「新潟県の山奥の小さな集落から世界のStanford大学へ進学した。」

これは凄い事です。父の実家はお金があるわけではありません。僕は、高校から家を出て自ら奨学金を借りて大学に進学し、自分の力で世界と言う舞台で戦うチケットをもぎ取った父を尊敬します。そんな父の教えが「人がやらないところまでやれ!」でした。

中学を卒業し日本に帰国することになった時に父に尋ねられた事があります。

「お前は将来何を極めたいんだ?武道でもバスケットボールでも英語でもなんでも良い。一生をかけて何をしたい?」

中学(米国の場合は14歳で卒業)を卒業したばかりの僕にとってこの質問はすこしばかり難し過ぎました。「今はまだわからない。」と言うのが当時の僕の答えでした。その数ヶ月後に日本に帰国し公立の中学校で英語教育を受けるうちに「日本の英語教育を変えたい」と思うようになります。一時は友人の影響でプログラミングをやりたいと思った時期もありましたが、大学2年生の冬に大学生活を折り返すにあたって熟考した結果「第二言語習得ゼミ」に入りました。


学生の本分は勉強
僕に1000万円と言う価値を見いだして協賛金として学費を払ってくれた父がいます。間違いなく彼は僕の人生のスポンサーなわけですが、そんな父に見せる事が出来る卒業論文が書けたのかはわかりません。

「人がやらないところまでやれ!」

僕の研究は果たして人がやらないところまで追求した研究なのでしょうか?僕にはその自信がありません。2005年に帰国してからずっとホコリを被っていた英語を使って「英語教育」について論文を書きました。僕の英語は僕だけのものではありません。

両親はまだ幼かった子供達を強引に米国へ連れて行き無理を承知で現地の学校に放り込んでくれました。現地の学校に通う多くの日本人の子供達が鬱になったり不登校になる中、息子達の強さを信じた両親の英断です。そして恩師Mrs.Jacobsは、アルファベットも書けなかった僕に対して「24時間日本語禁止令」を発令し泣きじゃくる10歳の少年を相手に容赦なく出来るようになるまで英語を教えてくれました。彼女は僕に世界と言うフィールドで生きる力を与えてくれました。高校時代の恩師、塩山先生は日本語英語を見限っていた僕に本当に大事な英語力とはなんなのかを体当たりで諭してくれました。また反抗期だったどうしようもない僕を更生してくれたのも彼でした。大学時代の恩師、中浜先生は毎週のようにゼミに遅刻をしていた僕を見限らずに最後まで親身になってアドバイスをくれました。

僕にとって「英語」は僕1人のものではないのです。
上記の恩師の中には今では音信不通で消息が分からない方もいらっしゃいます。それでもお世話になった方全員にお見せ出来るものを書きたいと言う強い思いがありました。誤字脱字や文法のミスがあると、過ぎた日を思い出しながら「ここ絶対怒られるんだろうな」なんて笑みがこぼれたりしました。


おわりに
自身の集大成として1000万円の価値がある卒業論文を書けたのかはわかりません。100%納得できる論文になったかと言われると、まだまだやれた部分もありますし、悔いが残る論文ではあります。

僕は大学院には行かないので学生生活はここで終わりですが、1000万円の支援金をもらって得た4年間で学んだ事をこれから先の40年間で自分の武器にして行きたいです。そしてそんな武器を授けてくれた両親には一度しっかりと感謝したいです。

とりあえずそのためにもまずは卒業。
5時間後に控えた学期末試験のために勉強したいと思います。


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