自分ルールと家族ルール


人生は判断の連続である

ウィリアム・シェイクスピア氏の名言に「Life is a series of choices.」というものがある。

僕は判断に迷ったことがあまりない。自分の物差しを持つように教育されてきたこともあり、常に自分の意見というものを持って生きてきた。

だから、あまり選択に迷ったこともなければ、自分の選択を後悔したこともない(思い出せばあるかも知れないが少なくとも選択を後悔した記憶はない)。

ただ、最近、初めて選択に迷うことがあったので、その話を書き留めたい。


“My Family’s Life” is a series of “My” choices.

大切な家族(ペット)が大病を患ったのだ。ただの風邪や胃腸炎かと思っており、軽い気持ちで病院に連れて行ったところ、重大な病気が見つかり、思いがけずその場で命の選択を迫られることになった(※)。

※二度と目覚めないリスクがあるが、その場ですぐに全身麻酔を使った治療を行うか否か意思を確認された

僕はこのブログで過去に偉そうに「自分は常にあらゆるパターンを考えているから選択には迷わない」とか語ってきたが、それはあくまで「My Life」における「Choices」の話であって、そのとき初めて「My Family’s Life」の「Choices」を迫られた。

しかも「命」に直結する問題の。


時間は待ってくれない

当たり前だが、パニックになったところで時間が止まるわけではない。

つまり時と場合によっては、自分が迷えば迷っただけ状況が悪化することもある。そして人生において、重要な意思決定の即断が求められる時がいつ来るかわからないのだ。

今まで考えてこなかったような事態に直面したときに、自分がどういう判断をすべきか日頃から少しずつ考えておく必要がある。

そして、家庭を持てば意思決定により影響を受ける対象が自分とは限らない。

自分1人で考えるMy Lifeにおける自分ルールだけでなく、(日頃から重い話ばかりでは疲れてしまうが)定期的に家族で有事の際の家族ルールについて話せると良いのかも知れない。


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