「尊敬出来る先輩が居ない」について。


後輩と話していると「尊敬できる先輩が居ない。」と耳にする事がある。
学生生活に限らず、社会人になってからも「尊敬出来る上司が居ない。」と言う言葉を発するシーンがあるように思える。

別に事“尊敬”だけに対する話ではない。

「信頼できる先輩が居ない。」と耳にする事がだってあるし、「信頼出来る上司が居ない。」と言う言葉を耳にする事もある。

僕はこの「○○できる先輩が居ない。」と言う言葉が大嫌いだ。
僕は別に「先輩を尊敬するべきだ」と思っているわけではない。寧ろ嫌いなポイントはそこではない。

僕が嫌いなのは「後輩→先輩」の構図が出来上がっているところである。


後輩が一方的に“尊敬できる”先輩を探すのはおかしな話である。
僕は“尊敬できる”後輩を何人も持っているし、それは凄く恵まれている事だと思う。

最近同期が皆就職活動で忙しく会えないため、後輩とご飯に行く事がものすごく増えている。そういう時に後輩とサークルや学問や人生について語っている中で後輩から教わる事はものすごく多い。自分が知らなかった事、気付かなかった事を後輩から指摘されることってかなりあると思う。それなのに先輩は後輩から尊敬されるべきものとして構図が出来上がってしまっているのは少しおかしな話である。


僕には“尊敬できる後輩”がいる。
例えば大切なステージの前に風邪をひいてしまい、だけどそのステージを断る事が出来ず代理を立てなければ行けない時に“信頼出来る”そして“尊敬している”後輩がいるのは凄く恵まれた事だと思う。自分の代打として心から安心して代理をお願いできる“後輩”が居るのは凄く恵まれた事だ。

心から「こいつが居てくれたら安心だ。」と思える。


「尊敬できる先輩がいない。」
「信頼できる先輩がいない。」

世の中いろんな組織で後輩がそのような言葉をこぼしてしまう時って当然あると思う。

でも先輩が

「尊敬できる後輩がいない。」
「信頼できる後輩がいない。」

って言っているのを耳にする機会って前者に比べると格段に少ないように思える。


もしかしたら真の問題は、「尊敬できる先輩が居ない事」なのではなくって「尊敬のベクトルが一方通行になってしまっていること」なのではないだろうか?


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