先日僕の友人の愛明が面白い記事を書いていました。
ヨナ抜き音階とは?
この記事を読んだとき、僕は真っ先にもう1つの日本の有名な音階、琉球音階との相関性が気になり調べ始めました。
参考までに琉球音階とは沖縄で発達した音階のことで、通常「ドレミファソラシド」であるはずの音階が琉球音階だと「ド ミファソ シド」になります。
つまり「レ」と「ラ」が無いんです!
ほへー面白い。じゃあ本当にそうなのかな?って事で沖縄の曲の中でも有名な「島唄」を調査してみました。
がっつり「レ」も「ラ」も出てきますね。笑
ネットを見ていると敢えてBメロは沖縄音階にしなかったって書いてあったりもしますが、Aメロやサビでも沖縄音階に無いはずの音が出てきます。
じゃあなんで島唄には琉球音階が使われていないと思いますか?このブログで頻繁に登場するフレーズ、「僕は音楽を先行している音大生ではないので」が再登場します。
言語学てきな視点から考えてみました。
「島唄」で琉球音階が使われていないわけ。
歌詞を解釈してみると意外にそこに1つの答えがあったように思えたので歌詞を紹介したいと思います。
でいごの花が咲き、風を呼び嵐が来た。
でいごの花 → 春を意味する
風・嵐 → アメリカ軍を意味する
と考えると繋がりませんか?
春になりアメリカ軍(災い)が上陸してきた。
続けます。
でいごが咲き乱れ風を呼び嵐が来た。
でいごが咲き乱れ → 春から夏に続き
春から夏にかけてアメリカ軍の沖縄侵攻が続いた。
ウージの森であなたと出会い、ウージの下で千代にさよなら。
ウージの森 → サトウキビ畑
ウージの下 → 2つ考えられる
ウージの下と聴いた時に防空壕と言う風にも捉えられますが、沖縄のサトウキビ畑の下には何千と言う戦死者が眠っていると言われています。なので一概に防空壕という風には考えにくいかとも思います。戦死した方の事を想っているのかもしれません。でも宮沢さんのインタビュー記事で「ひめゆり」の名前が何回も出て来ているのを見るとガマと考えるのが妥当なのかもしれません。
サトウキビ畑であなたと出会い、ガマで永久の別れをした。
島唄よ風にのり鳥と共に海を渡れ
島唄よ風にのり届けておくれ私の涙
島唄 → 沖縄の人の想い
海を渡れ → 海の向こうへ届け
海の向こうってどこだ?本土って考え方もできますが、僕は本土では無いと思います。
諸説考えられますが僕は海の向こうイコール「ニライカナイ」に届けようとしているのではないかな?と思います。
ニライカナイの説明に関しては上記リンクからwikipediaにとんで読んでみてください♪
そうするとサビは以下のように考える事ができます!!!
沖縄の想いよ私の涙よニライカナイへ届いておくれ
沖縄では死者の魂は親族の守護神になると信仰されておりニライカナイは魂が守護神へと生まれ変わる場所とされています。
そんなニライカナイへと想いを届けるのです。
きっと米軍により侵攻による苦しみ悲しみから守って欲しいって言う涙なのではないでしょうか?
以上。1番の歌詞解釈でした。
どう思いますか?こんな歌琉球音階で歌いますか?
苦しく辛く悲しい殺戮の歌なんですよ、この歌って。
だからこそこの歌を琉球音階でつくらなかったんじゃないかな?と僕は思います。琉球の音階をそんな悲しい歌に使いたくなかったんじゃないかな?って。
※ちなみにネットには以下のように書かれています。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。
「THE BOOMの名曲『島唄』の本当の意味とは?より引用」
もちろんこれはあくまでも語学を専攻する学生が歌詞から予想した一個の仮説にすぎません。でも日頃なんとなく聴いていた「島唄」歌詞をしっかりと噛み締めてみると凄く凄く深い歌でした。
僕も趣味で歌を歌います。
でもその時に歌詞の解釈ってさぼってしまいがちです。時として歌詞には深いメッセージが込められています。歌の力とは詩の力なのではないかと僕は思っています。
日頃なんとなく聴いている歌。是非歌詞解釈してみてください。
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