英語教育って本当に必要ですか?


フリー素材:Finn13

現在大学のゼミの授業の最中です。笑
僕はゼミでは日本の初頭英語教育の是非また日本の英語教育における活動案について研究しています。誤解を恐れずに言ってしまうと僕は英語は必修科目である必要は無いと思います。やりたい人だけがやる選択科目専門分野で良いのではないかな?と思うのです。


ゼミに5、60歳ぐらいのおじいちゃんが居ます。笑
大学で勉強をしなおすために大学に来ているおじいちゃんです。そんなおじいちゃんがさっき教えてくれたのですが、凄く興味深い統計があります。

図録外国人数の推移(国籍別)

現在(2013年)日本にいる外国人は

1位:中国人
2位:韓国人
3位:フィリピン人
4位:ブラジル人

これわかりますか?
英語母語話者ってこの中にいますか?

居ませんよね。笑
これが一個の時代の流れを物語っていると思います。英語が出来れば良い時代は終わったようにも見えます。


また今度小学校3年生から“英語活動”がはじまります。
そして5年生から“教科としての英語”が始まります。教科になると評定がつきます。すると英語は中学受験の道具になります。

“コミュニケーションをとるための英語”からは更にかけ離れて行く未来しか見えません。
リーディング、グラマーそしてマニュアル通りの点をとるためのライディング。ここに尽きるのではないでしょうか?小学校5年生から英語が教科として扱われてしまったら。


僕は今すぐ英語教育を廃止して、その時間で日本史古文をやったほうが有益だと思っています。

言語はその国の歴史や文化に深く根付いたものです。
日本人独特の謙譲表現もその一例ではないでしょうか?また外国人と話す際に自国の文化や歴史について聴かれてこたえられないってどうなんでしょうか?英語を喋れても英語を喋るだけの機会じゃ意味がありません。言葉はコミュニケーションの道具です。道具を使いこなす為には知っている事が大切です。

猿にMacBookAirを渡してもアルミのかたまりです。


英語を使うのは人です。人としての教養を育てる事の方が大切なのではないでしょうか?教養も育まずに英語をやっていても、英語はおろか日本語も使いこなせないまま成長してしまう気がします。

言葉を使うのは人です。
言葉の喜び、言葉の怖さを知らないまま言葉だけを覚えることに何の意味があるのかもう一度考えたいです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。もしこの記事を気に入って頂けたようであればシェアをお願い致します。非常に励みになります。


コメントを残す