【時事】アバターで登校?サイバー学習国は引きこもり解消に繋がるのか?


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参考:私の代わり、アバターが登校 通信制高校に仮想校舎

【元記事要約】

2000年に開校した通信制高校の私立明聖高校(千葉市中央区)がアバターで登校出来るネット上の高校をつくることを明らかにした。パソコンやスマートフォンを使い専用ソフトを立ち上げ実名登録した分身のアバターを用いて仮想登校するらしい。授業は同高校の教師が動画配信で行うそうだ。分からない事があればメールで質問出来ると言う。実際に学校に行き年間4日間の面接指導をこなせば、3年で高卒の資格を得られるらしい。



【みなさんこれどう思います?】

僕はこれ引きこもりを助長すると思いますね。断言しましょう。助長すると思います。

じゃあね。
「なんで子供は引きこもりになってしまうのか?」まあもっと言いますと「不登校になってしまうのか?」ってところについて少し考察してみたいと思います。

あくまで僕個人の偏った意見ですので不快に思われる方もいらっしゃるかと思います。申し訳ございません。あくまで一個人の戯れ言として受け取って頂けたら幸いです。


【なんで不登校になってしまうの?】

僕はこれは偏に「甘えているから!」だと思います。
僕も23年間の人生で一度だけ不登校になってしまった時があります。その時は本当に家から出るのも嫌でしたし、学校に行くことが憂鬱で仕方なかったです。学校に行こうとすると涙が止まらなくなったりお腹が痛くなったり、「いきたくないでおじゃる病」が発病していました。この通称「いきなくないでおじゃる病」って実は幼児によく見られる症状なんですよね。お母さんと離れたくない幼児が幼稚園でお母さんとバイバイすると泣いたりお腹痛めたりするアレです。

ではなんでこの「いきたくないでおじゃる病」が発病してしまうのか?
僕は自身の経験も踏まえてこれは偏に「甘えである」と思うのです。


【自身の経験談】

僕が「いきたくないでおじゃる病」を発病したのは11歳の時でした。
家族でアメリカに引っ越し月曜から金曜までは現地の学校、そして土曜日は日本語補習校に通うと言うストイックな生活を強いられた時でした。物凄いストレスを抱えまして網膜に異常が出たり、悪夢にうなされたり、まあいまだからこそ笑えるようなトラブルが色々あったのですが実は僕、言葉が通じない現地校よりも、日本語が通じる日本語補習校に行きたく無くなったんですよ。

じゃあね!
なんで「言葉が通じない現地校よりも言葉が通じる日本語補習校に対して不登校になったか?」考えてみます。


【対人コミュニケーションがとれなかったから】

不登校の主な原因ってこれに尽きると思うんですよね。
人間関係が上手く行かないと人間ってその場から逃げ出したくなるんですよ。それでね、逃げ出したくなると上手く行ってない人間関係がもっと上手くいかなくなるんですよ。そうなって来てしまうと割と手遅れになって来て子供の言動もおかしくなってくるんです。高圧的になったり、攻撃的になったり、暴力が多くなったり、逆に情緒不安定になったり、黙り込んでしまったり、笑顔が見られなくなったり。

アバターでの登校に反対な理由はここに尽きます。友達の顔をみてお互いにコミュニケーションがとれないってこと自体がもう異常事態なんですよ!早急に解決すべきSOSサインなんです。アバターでコミュニケーションをとれてしまうと逆に友達と顔をみてコミュニケーションをとる必要性がなくなってしまうんですよ!

現れるべくして現れたSOSサインを誤摩化しちゃだめです!

せっかくここまで掘ってみたので、じゃあなんで「現地の学校よりも先に日本人学校で対人ミュにケーションがとれなくなってしまった」のか考察してみます。


【甘えていたから – 肉体面】

ここで言う「甘える」とか「甘ったれる」って意味ではありません。
「年齢相応の体力」だったり「年齢相応の思考」が出来ていない事を指します。

理由1:僕は土曜日になり言葉が通じない現地校での疲れが溜まり他人をコミュニケーションをとれなくなっていたのです。

まず1つ目の「甘え」は体力面です。
まあ我ながらこれを甘えと言ってしまうのは11歳の自分があまりにも可哀想なんじゃないかなと思うのですが、事実他の子も同じ条件で頑張っていたのに僕だけが「疲れた」「辛い」と弱音をこぼすのは違いますよね。

今でも仲良しのメキシコから来たダニエル君(仮名)を見た時にそれを思ったのです。ダニエル君の家はメキシコから出て来た一家だったのですが、ダニエル君も英語全く喋れなかったなりに彼が家族で一番話せたんですよ。それでね、アルファベットも書けない彼が授業参観の日に拙い英語で必死に家族と先生の間をとりもつ通訳をしている姿を見て改心しました。

僕は英語が喋れませんでした。
だから宿題も父に手伝ってもらいながら深夜までかけてようやくやっていたのです。それが辛くて辛くて仕方なかったんですよ。疲れますしね。だけどダニエル君。自分の力だけで宿題を全部やっていました。それどころか言葉が喋れない家族の為に通訳までし、弟の宿題も手伝っていたのです。

これを知った瞬間に絶望しましたね。
11歳の自分どんだけ甘えていたんだって。

疲れてる時って人って思考が自分に甘くなるんですよ。

事実僕も疲れきっていて友人とコミュニケーションをしっかりととる事を怠っていました。普通に話せば良いのにわけもなく叩いてしまった事もありましたし、少しずつ距離を縮めるのではなく行きなり相手のテリトリーにデリカシーもなく踏み込んだりしていました。でも疲れてるからってこっちがコミュニケーション怠ったら相手だって歩みよってくれるわけないですよね。

常にこちらから全力でコミュニケーションしないと対人コミュニケーションなんて成立するわけがないのです。

僕がそれをして来なかった理由は「体力」でした。
でも「体力」なんて気持ちのもち方1つでずいぶん変わりますよ!甘えていた自分が悪いのです。


【甘えていたから – 精神面】

その「体力面でコミュニケーションをうまくとれなかったこと」が1つの大きな原因ですが、それ以前に僕にはもう1つ大きな人としての「甘え」がありました。

理由2:他人の気持ちを1ミリも考えていない自分主義

こいつが一番大きな原因です。
あのですね。今でも僕は1つだけ後悔していることがあるんですよ。それは現地校に居た数少ない日本語を話せる友人と喧嘩してしまった時の話です。

今まで仲良かった友人がある日いきなり僕に対して距離を置くようになりました。1週間の学校生活の中で彼等が唯一一緒に日本語で会話できる人間であったため地獄のようでした。それでもめげずに近づいて行くと今度は執拗ないじめがはじまりました。

「なぜか?」

それは僕が英語を話せないからでした。
2人で遅刻すると全て彼が怒られていましたが僕はそのことを知る余地もありませんでした。彼は僕の英語の上達が遅い事を問題視した教員から「あいつと日本語で会話するな!」と忠告され続けていたのですが僕はそれを知る余地もありませんでした。

僕はそのとき「自分が可哀想」としか思っていませんでしたよ。
でもこれでは対人コミュニケーションが上手く行くはずが無いですよね。真の被害者は彼ですよ。英語の話せない僕の面倒を観たあげくに教師に怒られ続け、挙げ句の果てに「アイツと日本語話すな!」とまで言われ。

僕が英語を話せるようになるために友人も教師も汚れ役をかってくれたんですよ!

でも当時はなかなかそういう風に考えられませんでした。
きっと自分が可愛いあまりに「甘え」ていたんだと思います。

ちなみにその後彼とはまた仲良くご飯を食べたり出来るようになりました。


【ようするに「甘える」のは違う!】

よくね甘えている人に頑張れっていうのは違うとか言うじゃないですか!
本当にその子の事が可愛いのならば多少無理してでも学校には行かせるべきだと思います。

1.一度逃げ出すと一生の病「逃げ癖」がついてしまいます。

2.そして学校から逃げ出すとコミュニケーションの場がなくなります。そうすると1人で考え込み次第に鬱になっていってしまいます。

3.どこかで我慢することを覚えなければ大人にはなれません。

4.大人になれないと親が死んだ時に苦労するのは本人です。

僕は今までの人生で幸い親と教師に恵まれてきました。
僕が「甘えてしまったとき」には全力で叱ってくれたし、僕が逃げ出そうとした時には物凄い速度で追いかけて来て捕縛してくれました。だからこそ、こうして来年から無事に社会に出て働こうと卒業論文の執筆ができているわけであります。


【最後に】

学校に行けば沢山の人がいます。
クラスメイトも部活仲間も教師も。皆自分を叱ってくれます。叱ってくれる人がいるのは幸せな事です。

「実際に学校に足を運ばない」と言うのはそう言う人間との出会える機会を捨てることになります。一歩勇気を出して外の世界に踏み出してみれば沢山の人と刺激的な毎日を過ごす事が出来ます。

その中で気の合う友達を見つけて、一緒に成長して行ける、それが学校の素晴らしいところです。先生だって廊下を走ったり宿題をさぼったり授業中居眠りをしたら怒ってくれます。幸せな事です。

その中でどうしても辛いとき、上手く行かない時はあるでしょう。
そんな時は考えてみてください。

「自分はどこかで甘えていないかな?」ってね。


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