スランプを受け入れる。


「スランプ」を受け入れる。なんのこっちゃと思う人が多いと思う。

僕が入っているアカペラサークルではステージに立つ為にはオーディションに通過する必要がある。僕も以前悩んでいたのだが、「音楽とは大変主観的」なのだ。サッカーやテニスみたいに点数が目に見えるわけではない。審査員の主観が多分に影響するものである。これはどんなきれいごとを言っても否定しきれないと僕は思っている。


しかしながら100人に聴いても100人がヘタクソと言う演奏は存在する。笑

100人に聴いて100人全員が上手いという演奏は存在しないと思うけどね、これは僕の持論なので置いておく。


不協和音の連続だったり、リズムがブレブレだったり、リードの音が当たってなかったり、100人に聴いても100人全員がヘタクソと言う為の要素は星の数程存在していると思う。

だからそういうところが沢山オーディションで出てしまったバンドは当然審査員の主観に関係なく思うような結果が返って来ない。今日のお話はそういう時にその結果を受け入れるか受け入れないかのお話である。


サークルではオーディションに通過して「コンサートに出ると成長できる」と言われている。だからこそ1年生の時に出演を逃したときは死ぬ程悔しかったし、コンサートに出演している同期に置いて行かれるのではないかと焦った。

ついこの間まで僕もこの言葉を信じていて、コンサートに出ているバンドと出ていないバンドでは天地の差が開いてしまう事もありかねないと思っていた。


しかし視野が広がり今は見方が変わった。
誤解を恐れずに言ってしまうと「コンサートのオーディションで思うような結果が出なかった人程成長する」といまは思う。


理由は簡単。その人にフラストレーションがたまるからである。そこで萎えてサークルを辞めてしまう人もいるが、そういう人は何をやっても続かないと思う。人生自分に都合の悪い出来事はつきものだ。一生懸命頑張っても報われない事なんていくらでもある。そういう時に如何にその状況下で頑張れるかで人は変わると思っている。


そんなフラストレーションを抱えた人が、焦りながらも一生懸命練習しているときが一番伸びる時だと僕は思っている。

今冷静に思い返すと僕の成長は全てオーディションに全敗した時だった。1年生の冬と3年生の夏である。同期は皆オーディションに通過したバンドしか見えなくなりそっちの練習に勤しむ事になる。

しかしそれは大いに結構。
実際問題ステージに乗るのは通過したバンドだ。そっちの練習をするべきであると思うし、寧ろステージに乗るからにはそっちの練習を優先しなければ行けないと思う。


だからこそ時間ができる。
今まで週に3時間あったバンドの練習がいきなり0になることだってざらにあるのがステージの前後である。そういう時間を何に使うかは個人の勝手だが自身と向き合い自問自答し自己を啓発して行く時間にすることが大切だと思っている。

これはバンドで出る事が果たせなかった人だけに与えられる言わば特権的な時間であり、バンドに出る人はそんな自分を見つめている時間があったらステージにのるバンドのことを見つめていて欲しいと思う。


そういった時間の中で自己を見つめ、自身の長短を把握した上で最低限の短所の補強をして長所を伸ばし続ける事で次のステップへと進めると思っている。


バンドも同じである。

ステージングや衣装等の演出を考える時間がなくなったのだ。その時間で新曲の音とりをしたり、既存曲の音をとりなおしたり、今までの音源を聴いて長短を云々したりする時間が出来た事になる。


ようするにオーディションに受からなかった事により出来た特権的な時間を何に使うかにかかっているのだ。

もしもオーディションに落ちてしまいその場で鬱ぎ込んで諦めてしまっている後輩がいたら伝えたい。

「おい。成長のチャンスだぞ!」と。


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