参考:甲子園マネージャーの「おにぎり2万個」は社会問題!?ネットで炎上発生
A「おにぎり作って!」
B「どうせ私はおにぎり作る機械なんでしょ!」
A「?!」
B「おにぎり握ってくれれば誰でも良いんでしょ!」
A「?!」
B「どうせ私じゃなくても良いんだよ。」
これって誰がどうみてもBはメンヘラですよね。笑
今回の場合なにがやっかいかって当事者ではなく社会の世論がメンヘラなことです。他人の人生をとやかく言う権利は無いのになんで赤の他人がこの子の将来のこと云々いうのかなって思いますよ。もう本当に。
大好きな野球部の為に出来る事を全力でやっているだけなのにその行動そのものが批判されたらこの子も報われないでしょうが。最近のソーシャルメディアを見ているとかまってちゃんをこじらせたメンヘラが目立つ気がしてなりません。
最近「男尊女卑」ならぬ「女尊男卑」的思考をこじらせたメンヘラを目にする機会が増えています。
皆さんは差別ってどこから始まると思いますか?
僕は「守ってあげよう」と思った瞬間からだと思っています。「保護されるべきだ」と言う考えは相手が自分より弱いと言う自身の潜在的な意識から産まれるものです。相手が本当に守って欲しいと思っていなければそれは所詮はあなたのエゴですよ。価値の押しつけです。相手が弱者である故に守ってあげなきゃ行けないと言うね。
「助けを求めている人」には手を差し出すべきですがあなたのエゴで相手を勝手に弱者と決めつけて保護対象にするのは違います。
僕は「五体不満足」で有名な乙武さんのtweetをよく見ています。
なんだかんだ炎上したりもしていますが、彼は日々の生活ではあまり耳にすることが出来ない障害者(言葉が悪いですが他に見つかりませんでしたごめんなさい)としての意見をたくさん発信しております。
以前聴覚障害者の方がテレビ番組でカラオケをしていた際に、ネットが「晒し上げ」と騒いでいても乙武さんは「もしかしたら本人が挑戦したいのかもしれない」とつぶやかれておりました。
結局はそうなんですよ。
聴覚障害者はカラオケが出来ないと決めつけて、聴覚障害者の方がカラオケをするのは晒し上げだと勝手に判断して、聴覚障害者の方のカラオケを放映することを可哀想だと思う事自体が差別のはじまりなのです。
おにぎりの件も同じですよ。
女性が「社会的弱者」であり女性が雑務を「させられている」と言う我々の潜在意識こそが差別なのだと僕は思いますよ。本当に「させられている」んですか?
選手が甲子園を目指すために進学クラスを辞退しても騒がないのにマネージャーは進学クラスを辞退したらダメなんですか?それこそマネージャーに対する差別のように思えます。なんでも可哀想だと決めつけるメンヘラですよ。
障害だろうが性別だろうが肌の色だろうがそこに優劣はないですよ。
それは優劣ではなく個性だと僕は思います。人間それぞれ出来る事と出来ない事はあるでしょう。別に出来ない事は悪い事でありません。そして出来ない事に挑戦するのも普通のことです。自分が出来る形で貢献しようとすることは責められることではありません。
彼女は野球部。
マネージャーと言う形で部活に参加して自分が出来る貢献のしかたをしてきた。なんでこれが差別なのか僕には理解できません。選手とマネージャーを区別することが差別であるのではないかな?と思いました。
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