なんで人によってはパーカスが曲にとけないのか?


今日は休日と言う事で色々と野暮用を済ませた後に久しぶりにバンド練に行って来た!!!

今日はBerkanoと言うバンドの練習だったのだが、このBerkanoと言うバンド実は今月の3月22日にライブを行う予定だ!

メンバーの3人が卒業した後も細々と活動を続けて来たBerkano。今回メンバーの過半数が卒業を迎えるOffbeat.というバンドさんと合同で卒業ライブをさせていただくことになった。

我々も60分程枠を貰ってレパートリーを大放出する予定なので良かったら是非皆さん来てください♪

チケットが欲しい方は@mokabuuまでDMを!!!
※携帯電話は故障中です。


さてさて、久々にアカペラを歌って同期や先輩と心いくまでアカペラの話をしてきたわけだが、僕は今熱が入っている(笑)

話ながらも色々おもったことがあったので書き留めておきたいと思う。


【なんで人によってはパーカスが曲にとけないのか?】

これに関しては僕も苦い思いでがあり断固たる意見を持っている。曲にとけないパーカス、所謂効果音パーカスになってしまうときは、みんな決まって1つの勘違いをしている。「上手いパーカス」であとうとするあまり、上手いパーカスであるための大前提である「上手いバンドであるためには」と言うところが考えられていないのだ。

だからパーカスが一人歩きして結果曲にとけずに「上手いパーカス」であるどころか「効果音」まで成り下がってしまう。僕自身も1年生や2年生の時に叩かれるまでは「上手いパーカス」と言う事を意識しすぎるあまり「バンドとしての音楽」まで視野が広がらなかった。

「上手いパーカス」であることにこしたことはないが、その前にバンドが「上手いバンド」であることの方が大事なのではないだろうか?アカペラは1人でやっているわけではない。どうしたら他のメンバーの為になるか考えて打つ事も大事である。


では例えば「上手いバンド」であるためにはパーカスは何ができるだろう?


僕が思うに、一番他のメンバーにしてあげられることは他のメンバーが歌い易いようにしてあげる事であると思う。例えばベースが16ビートを作ろうとしているならどうやってそれにアプローチしてあげたら良いのだろう?とかとか。

それを続けているとコーラスやリードも自分が歌い易いように歌ってくれる日がやってくる。音楽的な信頼関係ってその時はじめて生まれるものだと思っている。コーラスが走るからスネアをいつもよりほんの少し残し目に打つだけでコーラスが「走らないように!」って気をつけ始めてくれる。曲中リズムが崩れた瞬間皆が真剣な目をしてこっちを見てくれる。

ものすごくプレッシャーにもなるけど、バンドメンバーが頼ってくれるのは凄く嬉しい。常に「みんなが少しでも歌い易いように」って考えながら「自分の表現」が出来るとそれはもうバンドにとってはたった1人の代え難い大切なパーカスになるのではないだろうか?


ぶっちゃけパーカスに楽譜があることは少ない。パーカスはバンドメンバーやバンドにあった音楽を自分の頭で考えてしていかなければならない。それがバンドのニーズと噛み合った時に、パーカスは初めて、「その人じゃないとダメな、バンドにとっての立った1人のオーダーメイドのパーカス」になれると僕は思っている。


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