【アカペラ】別に僕は上手いパーカスじゃなくって良いです。


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以前なんで人によってはパーカスが曲にとけないのか?と言う記事を書かせていただいたのですが、今見ると文体酷いですね。笑

沢山記事を書いて行く内に文章って書き慣れて行くのだなと思いました。笑
目指せ誤字脱字ゼロ!どうも!!こんにちは。


昨日後輩のバンド練に遊びに行ってきました♪
たまたま自分のバンドの練習が休みになってしまい暇を持て余した神々の遊びごっこをしようか悩んでいたので非常に嬉しいお誘いでした。

そんな中で後輩と話していて色々思うところがあったので過去記事を@mokabuucom(mokabuu.comの専用RSS)でツイートしようと思ったのですが、今思うとあまりにまとまってなかったので類似した記事を書き直すことにしました。笑


いきなりですが僕は「上手いパーカス」と言われることに価値を感じなくなりました。
嘘です、「パーカスが上手い」と言われるとめちゃくちゃ嬉しいです。鼻の下伸ばしてデレデレしながら喜びます。でも以前程その言葉に価値を感じなくなりました。もっと嬉しい言葉を見つけたからです。

「バンドが上手い」これこそ最上級に嬉しい言葉です。
もっというと「良いバンド」って言われた時は更に嬉しい気持ちになります。

じゃあ何故「上手いパーカス」に価値を感じなくなったのか記事を書きたいと思います。


1年生2年生の頃は「ドラムみたいな音が出る」だとか「連打が出来る」だとかパーカスとしてのパーカスの技にこだわっていました。もちろんそう言う曲(ツーバスが目玉のメタルの曲等)を多くやっていたのもありますが、「上手いパーカス」である以前の条件である「上手いバンド」である事に気付けずに居ました。

「上手いパーカス」と言うことを意識しすぎるあまり「バンドとしての上手さ」もっと言うと「バンドとしての音楽」まで見えていませんでした。悪い言い方をしてしまえば1人で音楽をやっていました。


「パーカスとしてメンバーのために何が出来るか」っていうところまで意識出来ずに居たのがかつでの僕です。

本来ならば他のメンバーが歌いやすいようにリズムと言う土台をしっかり作り、メンバーがやろうとしていることを汲み取った上でそこに自分なりのバンドのためのアプローチをしていくのが本来のパーカスの仕事だと僕は思います。

「能ある鷹は爪を隠す」と言いますが、少し意味は変わってしまいますが、出来るからといって全てひけらかすのは最悪なオナニーですよね。自戒です。

常にバンドの為に、バンドのサウンドとして、「みんなが少しでも歌いやすいように」を念頭に「自分の表現」が出来ればそれに越したことはありません。


自分がパーカッションならば、通常ならば他のバンドメンバーは4人ないしは5人程居ます。もちろん全員得意不得意は違いますし、性格も音楽的ルーツも違います。

そんな中で全員に違ったアプローチが出来るとよりよいのかなと思います。そしてそこもまた腕の見せ所なのかな、と。「お前ここ走る!」って言うのと「ここめっちゃ良かったからこっちもやってみよう!」と言うのでは心象は大分違ってきます。

もしストイックなメンバーなら前者、そうでなければ後者等と言い分けも出来ます。実際そんな甘いもんじゃないですが。笑


リズムに関しても個々の得意不得意があるのでその時々で色々打ち分けてあげると良いかなと思います。16分が苦手なメンバーがいたら練習のはじめのうちは敢えて16分でしっかり刻んであげることもパーカスにできることの1つです。

そうした時に自分の上手さってあんまり関係ないです。
轟音出せようが、連打が早かろうが、必要なのはバンドのためにしっかりと16ビートを刻む基礎力です。その技術を持っているパーカスを上手いパーカスと言うのかもしれませんが、正直ドラムが目立つ仕事ではありません。寧ろ黒子です。


メンバー全員がバンドや曲のことを考えて、そのために歌うことをするだけでバンドの演奏って変わるものです。

かつての自分に一言言うなれば「つまらない自己顕示欲やプライド等捨ててみんなで1つの音楽作った方が楽しいぜ!」です。


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