先日父親の話を聴いて来ました。
父は新潟の農村から奨学金を借りながら大学を出て最終的には海外の大学院に行った事もあり
非常に勉学に対してストイックな人間でした。
今こそ歳を取って丸くなりましたが僕が中学生・高校生の頃は根っからの教育親父で
当時の僕にはそれが受け入れ難く反抗期が長く続きました。
大学から一人暮らしを始め就活期に親父と呑みに行くようになり
最近ようやく小学生の頃のように親父と話をするようになりました。
やっぱり学会などで話して来ただけあり親父の話は非常に面白くいつも勉強になります。
今日はそんな中でも新しく聴いたばかりの話をシェアしたいなと想い記事を書いております。
今回親父から聴いた話は「努力と満足感」についての話でした。
簡単に言うと
人の満足感っていうのは苦しんだ期間の3倍の期間しか持たない
ってな内容のものです。
つまり1年間死ぬほど頑張って目標を達成しても
結局満足していられるのは3年間だけで
3年もすれば心が満足していられなくなると言うのです。
そして10年間の努力の末に勝ち取った栄光でも
30年たつとその栄光も薄れると親父は言っていました。
だから年老いた老人の中には
若い頃の栄光に縋るもどこか虚しくなるだけの人も居るのだと。
40年間はたまた50年間の社会人生活は長いです。
だから自分の人生を満足するものにするためには
自分の一生をかけて達成するべく目標が大事なのだと。
それを日本人は「一生懸命」と呼ぶそうです。
「一生」を書けて「命がけ」でやり遂げるからこそ「一生懸命」なのだと。
だから簡単に「一生懸命」と口にしてはいけないのだと。
この「一生懸命」は本当に辛いと言っていました。
親父も今はまだ夢半ばだそうです。
それでも夢を達成する人間は半端じゃない覚悟と意志を持っていて
それを「一生懸命」やり遂げるからこそ前人未到の偉業を成し遂げるのだと。
ただし前人未到の難題に挑戦するからには
文字通り「一生懸命」であり簡単には成功しないのだそうです。
それでもごくごく稀に
「ああ。絶対無理だと思っていたけどここまで来たか!」と
思える時があると親父は語っていました。
そして
「無理だと思ったけどここまで来れたからもっと行ける。」と
過去の自分から未来の自分へのエールになるのだとか。
40年50年と言う長い時間をかけて
信念を貫くおっさんの背中に心を打たれました。
「お前は何を成し遂げたいんだ?」
親父の話を聞き終わった後に親父にそう聴かれました。
「まだわからない。」
そう僕が答えると
「それでいい。’一生懸命’なんだから。」
と電話を切る前に一声かけられました。
自分主義な目標は立てるな。
年収や自分の満足をゴールにするとどこかで頭打ちになる。
“こんなもんでもういいや”と言う気持ちになる。
常に自分が社会のために何が出来るか考えろ。
社会じゃなくても良いが自分以外の誰かのために生きろ。
未だに僕は親父の成し遂げようとしている夢の詳細までは知りませんが
息子に金を渡すぐらいならと募金をする父親です。
きっと誰よりも社会の事を考えて大きな志を持っている事でしょう。
もうすぐ社会人生活2年目。
僕も’一生懸命’自分の信念を持って誰かのために毎日を過ごしたいなと思いました。
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