【アカペラ】バンド練を休んでまでする個人練に意味はあるのか?


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僕の信条
僕はアカペラサークルに入っているのですが、4年生にもなると後輩ともガンガン歌って行くわけであります。そんな中僕は基本的に後輩の言動は見守る主義なのですが、絶対に許さない行為が何個かあります。

そのうちの1つが「バンド練よりも個人練習を優先する事」です。
特に「俺はパーカスだからコーラスの音とり練習には行かない。」なんて言葉が耳に飛び込んで来た日には一晩中スネアを打ちながらお説教するようにしています。

通常4人〜6人で歌う意味を考えてみてください。
6人で1つの表現をするのですから「他の人のパートは関係ない」なんてことはまずありえないのです。



カカシ先生と僕の名言を比較してみた
「忍者の世界でルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる」

これはNARUTOのカカシ先生の名言ですね。

「アカペラバンドで個人練や音とりをして来ない奴はクズ呼ばわりされる」

これは僕の名言ですね。

「仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ」

これはNARUTOのカカシ先生の名言ですね。

「バンド練を大切にしない奴はそれ以上のクズだ」

これは僕の名言ですね。

もちろん個人練も大切ですが、それは皆が気持ちよくバンド練に臨むための必要条件です。よりよいバンド練のための十分条件ではありません。多重録音じゃないんですから個人練をいくらつんでもバンドの演奏がよくなるわけがないのです。バンドの演奏をよくする練習をするために個人練習があるのです。


バンド練の時間は皆の時間
バンド練の時間は皆が各々個人練習でやってきたことを意見を交換し合いながら試す時間です。僕がリーダーを務めるバンドでは、各々が1週間の間に練って行ったアイディアを発信して皆で試行する場にしていました。

曲が通るようになるまでは、皆で少しずつ発音を統一したり、発音をずらしたり、相対的に和音をはめて和音を整えたりする時間にしていました。midiで音をとってその音をそのまんま歌ってもハモるわけがないんですよ。それぞれ違った方向に特徴的な人間の声が6つも混ざるんです。最小公倍数を探して皆でそこに照準を合わせて行かないとハモるはずもありません。バンド練はその最小公倍数を掴むための時間でもあるのです。


まとめ
アカペラは複数人で歌うものです。
多重録音(1人アカペラ)なら良いですが複数人で歌うからにはコミュニケーションや意思疎通が必要不可欠になります。例えば自分がリードならサビの字ハモはどんな動きでどんな表現を手助けしてくれているのか、例えば自分がベースならその下でパーカッションは何をしているのか等を意識出来ると演奏はもっと良くなるものです。

表面(自分のパート)だけでなく深く(他の人のパートの動きまで)視野をもちましょう!


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