他者からの評価って残念ながら凄く理不尽なものです。
当然「評価をしてくれる誰か」は自分では無いので
自分の努力や葛藤を全て理解してくれる訳がありません。
ましてや彼や彼女も人間なので当然評価に好き嫌いが交じりますし
極力混ぜないように努力する事は出来ても0にすることは不可能です。
なのでどこにいても何をしていても
他者からの評価で今の自分を完璧に評価してもらえる事って
まず絶対にないと僕は思っております。
僕は大学時代にアカペラサークル生活で
学内外で何度か「審査」に携わらせて頂く機会に恵まれました。
その際に毎回のように
今思うような評価されないと辛いけど、
絶対に誰かが見ていてくれるから諦めないで欲しい。
と言い続けて来ました。
この言葉は僕自身の体験から出て来た言葉ですし
この言葉に噓偽りは無いと思っています。
ただその一方で自分でも
「綺麗ごとばかり言うな」
「そんなものは結果が出た人が言う机上の空論だ」
とも思うのです。
実際には努力に対して評価なんてされません。
返ってくるのは理不尽な現実と酷い時には努力に対する
「仇」と言う名の裏切りです。
中学校・高校でバスケットボールをしている時も
大学でアカペラをしている時も
社会人になって働いている今でも
努力に対して自分が満足いく評価を得られた事なんてありません。
逆に努力をしていないにも関わらず
偶然結果が出てしまいその結果に対して
評価をされてしまい戸惑った事もあります。
現実は自分が満足いくまで努力したからといって
その努力が報われるほど甘く無いのです。
「じゃあそこで努力するのをやめますか?」というお話なんです。
どんな逆境に立たされても、
どれだけ不遇な環境におかれても、
そこで辞めなかった人だけがいつか評価される権利を得るのです。
よく勘違いされるのですが努力って評価には値しません。
努力は評価をしてもらうための切符なのです。
努力して初めて評価をしてもらえるための列に並べるのです。
努力をして列に並べばいつかチャンスは来ます。
そのチャンスがいつになるかは分かりません。
でも腐らずにそのチャンスを待った人だけが評価されるのです。
「努力が評価されなければ努力をやめるのか?」
何をやっていてもいつか壁にはブチあたります。
評価が得られない時の苦しみから抜け出せるか否かは、
その時に何年かかれば抜けられるかも分からないトンネルの中を
歩み続けられるか否か、そういう問題だと僕は思います。
人には得手不得手があるので、
直に評価に繋がる事とそうでないことがあるかもしれません。
それでもどれだけ得意な事でもいつかは壁にあたりますし
その中で評価を得られない期間が続く日が来ます。
そこで続けられる奴が
結局最後には周りからの評価を得る事が出来るのです。
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