【自己啓発】「軸がある人間」の「軸」ってなんなのよ?


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「軸が無いと言う軸」をもつ友人
参考:良いことは悪いこと、悪いことは良いこと

僕の高校の同期のブログです。
同ブログにも書かれているように彼は今まで何回もブログを立ち上げては3日で更新をやめてきた男なのですが、今回ばかりは本気のようです。笑

そんな彼が3日目に書いた「良いことは悪いこと、悪いことは良いこと」と言う記事を読んで思った事があったので記事を書こうと思いました。同記事内で彼は「僕の軸は軸が無いことだ」と断言しておりました。これは僕の長所とは真逆の長所であり、だから僕は人として彼が好きだし彼を尊敬しているのだなと思ったのです。



「ぶれない軸」をもつ僕
彼とは対局に僕は「ぶれない軸」をもっています。
例えば「美味しいラーメン像」に関してもぶれない軸をもっていますし、「理想のプログラミングの在り方」に関してもぶれない軸をもっていますし、「自分の人生の目標」に関してもぶれない軸をもっています。

勿論他者と徹底的に意見を交わした上で自分が間違っていたと思ったら素直に謝り感謝し自分の軸を修正するようにはしていますが、僕は相当な頑固者です。

以前就職活動の際にも余りに頭が固いので某社の人事の方に通常の面談とは別に別室に呼び出され面談をされたことがありました。「君は頭が固すぎる。君のためを思ってのアドバイスなんだからとりあえず口答えせずに聴くんだ。」ってね。笑

僕はそれでも自分が納得出来なければ納得出来るまで「なぜ?」を問い続けることを辞めなかったので史上最低の就活生だったと思います。時には面接を落とされてもこの考え方は変わりませんでした。23歳にもなると人は変われないものですね。


「なぜ」が大切
僕は先ほどから言っているように「ぶれない軸」がぶれなさすぎると言う最大の長所/最大の短所をもっています。だからこそ常に「なぜ?」と言うのを大切にしております。例えばサークル活動(アカペラでのバンド活動)では常に後輩と話す機会がある時は「なぜ?」を聴くように気をつけています。

話した結果自分が納得するだけの理由を提示されたならばその意見は絶対に取り入れた方がバンドのためになります。逆に後輩の意見が現実的で無かったり、バンドを良くするものでなかった場合はきちんと相手が納得するまで論破するように心がけております。

僕は4年間アカペラをやって来たので当然アカペラに関する知識や経験もそれ相応に蓄積されました。故に分かる事も多いのですが、既存の常識に無意識に捕われてしまっている事も往々にしてあります。なのでまず意見を聞くことはこの上なく大切だと思うのです。その上で議論をしていけば良いかなと。

逆に自信を持って「これは違う」と思っていてしっかりと理論的にそれが証明出来る場合は先輩の指示に対して「これはなんでですか?」と噛み付く事もあります。そんな僕に愛想を尽かさずに論破してくださったサークルの先輩方には本当に感謝しています。笑


「軸がぶれない=頭が固い」ではない
勘違いされがちですが「軸がぶれない」のは「頭が固い」と言う事ではありません。

あらゆることにしっかりと自分の意見をもっていて賛否を述べられる状態を指すものだと思います。どんな意見でも10年20年30年40年50年貫けばだんだん理解されるようになってきます。自分が「これだ!」と信じた価値をとことん追求するのです。自分を信じてとことん目標に向かうことを僕は「ぶれない軸」と呼んでいます。

その過程で意見に穴があって論破されてしまったら当然その意見はまた練り直す必要があります。そこで心が折れてしまうようならばそれは「軸が無いから」か「軸が弱すぎるから」だと僕は思います。


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