僕らはどうして鼓動の数に限りがあるってのを知っていて無駄にしてしまうのだろう
曲の一節より抜粋した歌詞です。
この歌詞はNARUTOと言う漫画の映画化に伴いスキマスイッチが書いた「星のうつわ」と曲のものです。一曲を通じて人の一生を歌ったいる曲です。
僕は成人の日は少し遅めの初詣に出かけていたのですが、帰りの電車の中でぎこちないスーツ姿や綺麗な振り袖姿の新成人の皆さんを見てふと自分の成人式を思い出していました。
僕らはどうして鼓動の数に限りがあるってのを知っていて無駄にしてしまうのだろう
この歌詞って凄く素敵だと思うんですよ。
別に何かと区別なことを言っているわけではありません。人は生まれたからにはいつかは死にます。言ってしまえば「命が有限」なんてことは誰しもが頭ではわかっていることです。それでも「鼓動の数に限りがある」って意識して生きている人ってどれぐらいいるでしょうか?
今こうしている間にも僕の心臓は鼓動を打っています。そしてこの鼓動がの数には限りがあります。今こうしている間にも僕の人生のタイムリミットはほんの少しずつ減っているのです。そう思うと1分1秒の時間って決して無駄には出来ない尊い時間なのですね。
わかっているようでわかっていなかったです。
僕は今は23歳です。成人式から3年が経ちました。単純な計算をしてみると僕の鼓動はその間に約110,376,000回減った事になります。ぶっちゃけ僕は神様では無いので僕の心臓が後なんかい鼓動をならす事ができるのかなんて知りません。それでも1つの事実として僕は一生にならせるうちの鼓動の数から110,376,000回の鼓動を失いました。
その間に僕は何をしたのか?何を達成したのか?1回1回の鼓動を無駄にせずに生きて来れたのか?
たぶん僕の答えは否です。
僕はこの3年間で自分の110,376,000回と言う回数に見合っただけの価値を産み出せませんでした。サークルライブのプロデューサー、就職活動、大学卒業(仮)など達成してきたことも沢山ありますが、1回1回の鼓動を無駄にせずに過ごして来たかと聴かれると首を横に振らざるを得ません。
よく本なんかで「今日と言う日が最後だと思って生きろ!」なんて書いてありますが、まさにその通りだと思います。でもそれって実は人生で一番難しい事なのかもしれません。本当にその時にならないと人って「次がある!」って心のどこかで油断し続けてしまうものです。
たぶん恵まれた僕等が常日頃から「鼓動の数に限りがある」と思って生きようと思っても無理です。ならば「次のため」に生きようと思います。
楽しい明日のために今日があります。
楽しい1週間後のために今週があります。
楽しい1ヶ月後のために今月があります。
楽しい来年のために今年があrます。
楽しい10年後のためにこのさきの10年があります。
「鼓動の数には限りがある」と常に頭の片隅に置いておく事ほど難しいことはありません。いつその最後の1回が来るのかは神のみぞ知ります。ならば「自分がくると信じている明日」の為に今一瞬を大切にすることから始められたらと思います。
1回1回の鼓動大切にしたいです。
以上午前5時半の予約投稿でした。今日もお昼過ぎまでおやすみなさい。
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