【アカペラ】先輩はなんでアカペラやってんすか?アカペラの良さってなんすか?


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後輩からおもろい質問されたので勝手に記事にします

突然なんですが、

[<アカペラの良さ>ってなんだと思いますか?]

もちろん自分の体使ってハモる気持ちよさであったりとか、
そもそも字ハモって技法自体声でしかできないすごいとか、
一般論として色々あるのは承知の上です。

楽器もやってて、
しかもアカペラ人生の大半を”ハモらない”ポジションで過ごしてきた
先輩がそこをどう考えてるのか、聞いてもいいでしょうか。

実に面白い(福山口調で)。
ってことで僕なりに脳みそフル回転させて考えてみました。



僕はアカペラに固執していない
紆余曲折を経て僕は「アカペラって1つの音楽をする手段だ」と言う答えにたどり着きました。「いや!アカペラって音楽の無伴奏奏法さすんだから当たり前じゃん!」って思うかも知れないけれどここで言いたいのは「僕はアカペラに執着していない」と言う事です。

もともとドラムを叩きたくってアカペラサークルに入ったのでハモることにも歌うことにもあまり興味が無かったのもあるかもしれません。笑

その中ではじめは「ボイスパーカッション≠ドラム」だと思っていて、ドラムで培って来たノウハウとは全く違ったノウハウが必要だと思っていました。だからこそ先輩にめっちゃ色々聴いてまわっていたのですが、ある日「ボイスパーカッションはドラムと同じ」と知ってから「楽器を意識しすぎる」ようになってしまいました。

その結果として待っていたのは残酷な結果で声で奏でている以上どうしてもドラムの劣化版コピーだったり、ドラムを模倣しすぎるあまり音楽ではなく大道芸になってしまったのです。

そこで後輩の質問への答え鍵になのですが、僕は「ボイスパーカッションが最適だと思う」から「声でドラムを演奏している」のだと思います。だから迷った結果「アカペラじゃなくって楽器でやれば良い」と思ったら迷わずに楽器でやると思います。


アカペラの良さとはどこにあるのか?
アカペラに固執していないこともあり、僕は編曲にも相当ストイックかつ神経質になっています。そのアレンジがアカペラとしての最適解で無ければその瞬間に自分の中で却下になるからです。勿論ピアノやギターやベースのラインをそのまま歌うような曲は拒否するようになりました。

アカペラの良さ。
一般論で言ってしまうと「体1つで音楽を奏でる事が出来るからどこでも体1つあれば音楽になる」って言うのが模範解答なのでしょう。しかし僕はそれに加えて「アカペラが最適な表現手段だからアカペラで表現する」って言うのも1つの答えだと思っています。

よく勘違いされがちで「アカペラだからこそ出来ること」って解釈されがちなのですが、そうではなく「無理矢理アカペラだからこそ出来る事に固執した時点でもうそれはアカペラでやる必要がない」と思っていて「アカペラで表現するのが最適」って言う事が大事だと思っています。

後輩が言ってたように「字ハモ」も魅力の1つかも知れないけど別に楽器があっても字ハモできるのではないでしょうか?正確にはキーボードなりギターがコードならしていてくれた方が字ハモの幅も広がると思います。それだったら声だからこそ響くコード(楽器でやってもいまいちだけど声だからこそ綺麗に響く難解なコードとか)を探してならす方が余程本質的な気がするのです。


僕が思うアカペラの良さ
素人ながらにアカペラって実は凄く音楽として未完成で不完全なもので「アカペラ自体が最適な表現手法あんてことって本当にあるのか?」ってぐらい少ないものだと自負しております。

だからこそ、その少ない解答を見つけられた時は死ぬほどわくわくするし、それを楽譜に起こしてイメージ通りになった時は死ぬほど楽しいから、僕は敢えてアカペラで続けているのだと思います。

「沢山の限られた制約の中で最適解を見つけ精一杯の自己表現をする」

これが僕なりのアカペラの魅力だと思います。


おまけ
それに加えた僕は心身のコンディションがもろにむき出しになるのもアカペラの楽しい所だと思っております。

緊張して心拍数が上がれば走る。
息が上がれば走る。
曲の終盤で疲れがたまれば荒くなって息が演奏に混じる。
これは楽器のドラムを叩いている時には味わえなかったボイスパーカッション特有の感覚です。

以前仲良くしていただいたミュージカルの台本を書いている先輩とお食事をさせていただいた際に「限界を超えて汗をまき散らしながら打っている君のパーカッションは面白い」と言っていただいたことがあります。「誰が見ていても苦しいのが分かる。それでもその中で力強い一発を打ってくるところが表現者だ。」と。

そう思うとボイスパーカッションはスポーツなのかも知れません。
ランナーズハイになった時にだけ出来るパフォーマンスって当然あります。本番で緊張して息も浅くなって疲れも倍増して限界。それでも限界を超えて次から次へと渾身のドラミングが出来るのはきっとドラムに比べてより演奏と体が密接しているからだと思います。


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