後輩「でもVoxOneのtomも姿勢悪いですよ!」
先輩「お前はtomかよ。っていうかtom馬鹿にするなし。」
後輩「そもそも姿勢と音楽関係ないじゃないですか!」
先輩「話ごまかすなよ。そんなんだからお前はだめなんだよ。」
後輩「先輩が頭固いだけでしょ!」
先輩「話になんねーわ。」
これって凄くダメな議論の例です。
っていうかこれでは議論じゃなくってただの喧嘩です。
今日はフィードバックや議論をする時に気をつけたいことを記事にしました。
×お前くそだな!話にならねーわ!
○お前のパーカスだめだめだな!
×お前だめだめだな!
こうやって書くと、「いや!流石に編曲がダメだっただけで人格否定しないでしょ!」と思われる方が多いかも知れませんが、相手の意見を否定する際についうっかり人格まで否定してしまっていることってあるかと思います。
上記の本に記載さいれていたのですが、
議論とは、テニスの練習試合に似ている。互いのレベルが高く、腕前が拮抗している場合は、エキサイティングなラリーが楽しめる。ラリーを行いながら、お互いの論点はもちろん、自分自身の思考も整理可能だ。そして、お互いに汗をかいた後は、話を切り上げて握手をする。そこでは、互いの意見を激しく否定し合うことはある。だが、相手の人格はしっかり尊重しているのだ。だから議論終了の笛が鳴ったら、互いに笑い合ってさわやかに分かれることが出来る。
と言う内容のものでした。僕はこれを見た時に「確かにな!」と思ったのです。
相手の演奏やそこに至るまでの考え方が気に食わなくても、その人を嫌いになることって無いなと思います。寧ろ相手が自分と異なる考え方をもっていたほうが、相手の意見を取り入れる際に「なるほどな!」と思う局面に出会えるので議論していて楽しいなと。
また同書籍に
日本人の多くは、議論が苦手だ。議論をし、自分の意見を否定されると、自分の人格そのものが否定されたような気持ちになるのだろう。その結果、互いに傷つけ合うことを恐れて、できるだけ議論を避けようとして、本心では別の意見を抱いているのに、表面上は相手に賛成ような態度をみせてしまうのだ。
的なことが書いてありました。僕はこの「○○人はこういう人が多い」と言う「○○人だから」みたいなくくり方は好きではないのですが、確かになと思う節はあります。
また上記の内容に加えて意見が噛み合ない相手に対して排他的になり、相手そのものを拒んでしまったり、酷い時には(相手の意見に対してではなく)その相手に攻撃的になる人も中にはいるのではないかなと思いました。
いくら議論してもお互いに意見が合わない時って、お互いに譲ってない時なんですよね。譲らないからには相手もそこに自分とは違ったこだわりを持っているわけで、そのこだわりを語り合う事で、自分にはなかった視点を相当深堀して学ぶ事が出来るわけです。
それを拒んでしまったり、攻撃的になって排他してしまうのはもったいないなと。
僕は「お前の演奏が気に入らない!」「お前の編曲が気に入らない!」「その考え方は違うと思う!」はいくらでも言って良いですし、寧ろ言うべきだと思っています。
ただし、それを言うときは気に入らないのは「演奏」「編曲」「考え方」であって、決して「相手(お前)」を否定しては行けないと言うことです。傷つけ合う事を恐れて議論を避けてしまうのは勿体ないです。議論の際に相手の考え方だけでなく、相手の人格を否定しあってしまっては、「○○ちゃんなんて大嫌い!」と叫んでいる小学生の喧嘩と何も変わりません。
議論やフィードバックを行う際は、相手の人格ではなく、相手の「演奏」や「意見」のみにフォーカスして議論して、一通り話終わったら握手を交わして上手い酒を呑む…こんな議論を常々心がけたいものです。
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