私はボイスパーカッション奏者です。
アカペラに置いて一番得意なパートはボイスパーカッションです。
だからこそボイスパーカッションの「進化」と「限界」について考えさせられる事が多いです。
今日はこの「進化」と「限界」について疑問を投げかける形で記事を書きたいと思います。
私はRockapella世代のアカペラーです。
Jeffのソロを必至にコピーしていた世代です。
一番好きな走者はVox OneのPaul Stillerです。
学生時代は必至に真似をしていました。
が!
昨今のアカペラの動向を追っていると彼らの技術が錆びた技術になってきているように感じます。
スポーツにも同じことが言えますが、日々技術は進化しています。
アカペラも大きく進化しています。
Pentatonixの台頭以来、ボイスパーカッションの役割が単なる打楽器ではなくなりました。
結果、JeffやStillerの持つ技だけではアカペラのボイスパーカッションが勤まらなくなってきたと思っています。
アマチュアのPentatonixのカバーを聴いていても、Kスネアや電子音など今までのボイスパーカッションには無かった音の意図まですくって演奏しているバンドは少ないです。
唇をはじくJeff世代の音の出し方では間違いなくPentatonixが出すクラブサウンドならではのグルーヴは出ません。
長くに渡っていがみ合って来たHuman BeatboxとVoice Percussionの融合体がKevinのボイスパーカッションなのです。
今までのVoice Percussionの価値観や考え方からある程度の脱却が必要になってくると僕は思っています。
ここ2年ぐらいでひしひしと感じていたのですが「アカペラのボイスパーカッションは非常にJazzに向いていない」と思っています。
Jazzのシンバルをレガートしつつ左手でおかずを入れているスタイルのドラミングは多重録音無しでは実現し得ないからです。
フィルインの時に裏打ちしているはずのハイハットが消えてしまったり、シンバルをレガートする音とおかずの音の共存ができなかったり、ボイスパーカッションの限界は意外と身近なところにあります。
- ロックドラマーにボイスパーカッションを聴かせると音圧や手数が足りないと言われる
- ジャズドラマーにボイスパーカッションを聴かせると基礎のレガートがぶつ切りになるので気持ち悪いと言われる(またはおかずがないからつまらないと言われる)
- オーケストラのパーカショニストにボイスパーカッションを聴かせると音程やピッチが気持ち悪いと言われる
ボイスパーカッションはまだまだ多方面で非常に未完成な表現手法です。
特に人の口が同時に出せる音はどんなに頑張っても1個です(その音を複数の音に聴かせる工夫はできますが)。
「どうやって不完全なボイスパーカッションをより音楽的に聴かせるか」
それが今後向き合うべき壁になると僕は思っています。
特に音数の限界は誰もが挑戦し続ける壁になるでしょう。
※StillerやKevinも多重録音に頼っているぐらいですしね!
これはきっとボイスパーカッションに限った事では無いと思います。
実際にPentatonixのライブに足を運ぶと、とりわけアカペラ教に入信したわけでもなさそうな客層が多く来ています。
それは彼らの演奏に今まで無かったものがあり、それが聴衆の心を掴んだからでしょう。
音楽を自己表現の手段とする以上は、それが相手に伝わるように心がけるべきですよね!
どのパートをとっても、バンド単位でも、音楽の進化において行かれないように日々アンテナを高く張って、常に自分の頭で考える癖をつけないと音楽的老害になってしまうのかもしれません。
※jeffやstillerを批判しているのではなく、jeff世代のプレイヤーもkevinの技術を熱心に研究すべきだ、と言う事です。
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