4年間所属したサークルで色んな人に「お前は努力家だよな」と言われ続けてきました。
別に僕自身は自分を努力家だなんて思った事は1度も無く、
ごくごく当たり前に好きな事を好きなようにやるために必要な練習をしているつもりで色々とやっておりました。
まあ全く努力しなかったかと言われるとそれも違って、
相当努力した自負もあるのですが(笑)
その時に“努力のやり方”って言うものがあるんじゃないかなと気付いたので記事を書いております。
よく色んな場所で
「努力が報われない。」
なんて話を聴いたりします。
僕は努力って報われないものだと思って努力しています。
だって努力が報われるなら世の中の小学生は皆女優かサッカー選手か野球選手になっているはずです。
まず第一に努力が報われない事を知るべきです。
そんな報われない努力を続けられることに価値があり、
人はその頑張る姿を見てその人の力になりたいと思い、
決して諦めないその姿勢が人々に勇気を与えるのです。
※参考記事:【自己啓発】「頑張っていれば評価される」なんてのは綺麗ごと!それでも完全成果主義の世の中で愚直に頑張る人は魅力的!
努力の価値の神髄ってそこにあると僕は勝手におもっております。
脱線しました…。
皆さんはそもそも努力って何だと思いますか?
もっと噛み砕いて言うと「こんなに努力したのに…。」って嘆くときの「こんなに」って何をもって判断していますか?
「こんなに努力したのに報われなかった!」
ここで「こんなに」を”時間”で計ってしまうと絶対に結果ってついてこないんです。面白いぐらいに。時間っていうのは成果を出すためのひとつの手段であって努力を計量化するための手段ではありません。
本来ならば“これが出来るようになった”と言う結果で努力は計量化するべきであり、そこに至るまでの時間で努力の量を量ってしまうと、時間に満足してしまい結果として努力しているつもりになってしまっていることが多いです。
僕は自分が決定権を握っているバンドでは基本的に練習は夜(19時ぐらいから)にしようとしていました。何故かと言うと日中に練習してしまうと時間と言う制約がついてくるからです。
1回の練習が90分。
誰もこの事実を疑おうとしませんが実はこれって凄く変な事ですよね。
その時々で取り組んでいる課題も違えば、
メンバーのモチベーションやバンドの状態も違います。
それなのに同じ90分っておかしな話です。
本来ならばその日その日の一定の目標に到達した時に練習を切り上げて良いはずなのです。逆に言えばそれが出来なければ朝まで練習してろよっちゅー話なのです。
そう考えた時に、
学生が一番フレックスに時間をとる事が出来るのが夜だと思うのです。
だから夜に練習を入れて、
敢えてその日その日の目標が達成出来るまで練習をすることで、
その時々に必要とされている努力を結果と言う単位で計ろうとしておりました。
時には一定時間かけて取り組むことも大切です。
それでも「時間」だけで努力を計ってしまうと「努力しているつもり」になってしまいます。
練習「時間」ではなく練習「結果」に拘るようにしてみてください。
なかなか「結果」に結びつかないスランプもくるかと思います。
そう言う時に始めて練習「時間」がものを言うのであり、
日常的に時間に任せて練習していると、
時間だけがたち練習が「うだうだ」「なあなあ」になってしまうこともあるかと思うので気をつけましょう!
そして。
僕は本当に価値があるのは、
どれだけ辛くても努力を止めないその努力だと思います。
辛い疲れたもうやめた。
それも結構ですがどうかその足をとめないでください。
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