表題の通りでございます!
何事でもそうですがアカペラ奏者として上手くなる上で
僕は時に自ら”クソザコ”になっていく勇気が大切なのではないかと思います。
クソザコとは文字通り
- ヘタクソで
- 自分でも笑っちゃうぐらい上手く歌えない
そんな奏者をさしているのですが
今日は”クソザコ”が大好きな僕が
“クソザコ”になることの魅力について書きたいと思います。
まあ文字通りですよ。
“クソザコ”は最低ランクなわけであります。
つまり成長の伸びしろしかないのです。
例えば高校野球で1番でも
プロに入って1流のプロと対戦すればクソザコになります。
ましてや日本で1番になってもメジャーに行けば
まだまだ上がいて”クソザコ”からのスタートになるわけです。
まあ流石に最低ランクってことは無いでしょうが
今までみたいに1番になれなくなるのは事実です。
ダルビッシュは否定するでしょうが
高校を出て直ぐにダルビッシュと比較したら
どんな高校野球の投手でもダルビッシュには勝てません。
つまり僕の言う”クソザコになろう!”とは
1番になったら次のステージに進もうと言うことなのです。
アカペラサークルで考えましょう。
代で1番になったら
次はサークルで1番が待っています。
サークルで1番になったら今度は
地域で1番が待っています。
地域で1番になったら
今度は全国で1番が待っています。
全国で1番になったら
今度は全世界で1番が待っています。
代で1番上手くても
サークル全体で見れば”クソザコ”かも知れません。
サークルで1番上手くても
他のサークルと比べれば
“クソザコ”かも知れません。
そこそこいけてきても
全国レベルで見ればまだまだ”クソザコ”かも知れません。
常に上を見れば上には上がいくらでもいます。
常に上だけを見て自身をどんどん次のステージに置ける人間って
この上なく魅力的だなと僕は思います。
“クソザコ”と呼ばれて焦らない人は居ません。
“クソザコ”と言う言葉に不快感を覚えない人は居ませんし
“クソザコ”と言う言葉を誇らしく思う人も居ません。
必死に”クソザコ”を脱しようと一生懸命になります。
そして1番になったら奢らずに次のステージに進み
また以前の”クソザコ”だった自分に返ることで
成長の無限ループに入ることが出来ます。
そもそも何をもって1番と定義するか難しいのが
音楽ではありますが
向上心をもつ上で
自分が1番だと言う自信をもつことも
その地位に依存せずに”クソザコ”になれるどん欲さも
1番と言われる程上手くなりたいというどん欲さも
大切なものだと僕は思います。
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