【アカペラ】良いアレンジほど”キワドイ”アレンジになるんじゃないかしら?


最近久々に楽譜を書きました

最近、久しぶりに気合を入れてアカペラの楽譜を書きました!そしてめちゃくちゃ気合を入れていたこともあり、他人に楽譜をレビューしてもらったのです!

僕はかなり練るに練ったつもりだったので自信作だったのですが、第三者にみてもらうと良い意味で予期していなかったアドバイスが沢山出てくるんですよね!

そこで僕はふと思ったのです。

仮に有識者100人に楽譜を見せて、指摘された改善点を全てインプットしたAI(人工知能)に楽譜をブラッシュアップさせたら誰にも何も指摘されない完璧が楽譜ができるのか、と。


全ての観点で突っ込みどころが無い楽譜

練るに練った楽譜でも、第三者にみてもらったときに予期せぬアドバイスがくるのは人によって観点が異なっているからだと思います。

例えば僕はPentatonix風のイケイケゴーゴーなビートを活かしたアレンジであるにも関わらず、ビートドリブン(≒ドラム パートから作られた楽譜)でなかったら、その楽譜は一切評価しません

でも、僕の友人は、ビートドリブンでドラムパート云々の観点は持っておらず盛り上がりどころを抑えるための1個1個の和音構成を大事にしていました。

これは僕の観点も友人の観点も、どちらも正解だと思っています。
つまり、どちらの観点も大切な観点なのです。

なので、イケイケゴーゴーなアレンジを書くときは、この両方を意識して作り込むべきなのです。

そして他にも意識すべき観点は沢山あります。100人に楽譜を見せたら、100個の正解が出てくると思います。正解を全てかき集め、全て反映するような形で楽譜を磨き上げたら理論上は完璧な楽譜ができるはずです。


本当に完全無欠の楽譜ができるのか?

では、本当に全ての観点を盛り込めば完璧な楽譜ができるのでしょうか?

僕は答えは「No」だと思います。恐らくものすごくつまらない楽譜ができると思います。可もなく不可もない楽譜になるでしょう。

みんなが画一的な楽譜を書くようになるので、個性が潰れ、聴いていて他と差異のないつまらない譜面になるんじゃないかと思います(その中で自分の表現をするのが一流ではないかという議論はここではおいておいきます)。

楽譜のどこかに「これは好き嫌いが分かれるな」というスパイスを用意した方が、楽譜に深みが出るのではないかと思うのです。

プロアカペラのアレンジや演奏でも好き嫌いが分かれるじゃないですか!

もっというと自分が大好きなアーティストの曲でも、これはちょっと、って曲もあったりすると思うんですよね(俺はaikoが好きだからaikoの曲なら全てが好きなんだ、というそのアーティストの存在そのものが好きな場合はこの限りではないですが)。

アカペラアレンジでも、誰からも嫌われないものを目指した結果、誰からも嫌われなくなったけど好かれなくもなっちゃった現象っておきうると思うんです。

なので、ときにはリスクを念頭においた上であえて攻める編曲、も大切なんじゃないかなと思いました。


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