アカペラを布教するためにアレンジから工夫できることは何か


議論しました

先日バンドでPentatonixをコピーする意思決定が行われたため、僕は今Kevinのパーカスを猛練習しています。

今までずっと「ザ・ボイスパーカッション」を目指してきたので、いわゆる「ヒューマンビートボクシング」の表現手法を一生懸命勉強しているところです。

で、暇さえあればテレビでPentatonixのPVやライブ映像をひたすら流しているのですが、Pentatonixを流ししぎて、アカペラになんの興味もなかった妻もアカペラに興味を持つようになってきました。


アレンジの良し悪し

せっかくPentatonixに興味を持ってくれたので他のバンドの音源を流してみたのですが、Pentatonixの曲への食いつきが段違いに良かったのです。

理由を尋ねたところ「アカペラを好きでも無い、特に音楽を選考してきたわけでも無い(強いて言うなら幼い頃にヤ○ハに通っていたぐらい)私にとって、とっかかりは“この曲知っている!あ、この音も声で表現できちゃうんだすごい!”だから、原曲を魔改造しすぎて何を歌っているのかパッと聞いて分からないのは致命的。」とのことでした。

なるほど。

以前、K.O.E.の同期と話しているときに、Tim Foustの音楽的には無意味な低音ゴリ押しについて議論になったこともありました。当時の僕の意見は「やりすぎ」、今の僕の意見は「あれはあれで良い」です。

僕の同期は特段アカペラが好きなわけではなかったので「Tim Foustは分かりやすくて良い。あの低い声を出されるとベースが分からない俺でもすごいことが直感的にわかる。」と言っており、音楽的エモさや和音構成の美しさもさることながら、「知らない人が聴いても凄い」が伝わる表現手法は大事なんだなと思った次第です。


誰に向けたアレンジなのかが大事

僕は有名プロロックバンドはここら辺の考え方が上手いと思っています。

例えばGLAYなんかは、シングルでは大衆向けの曲を出し、アルバム・カップリングなどで自分たちがやりたい曲をやっていると言います。

参考:http://glaylife.com/archives/4

なので、世にアカペラを広めたいと思った時は、敢えて自分たちがやりたいことではなく大衆向けにアレンジを行うべきなんだろうなと考えています。

当時の動画が見つからなかったので僕の記憶ベースになりますが(なので記憶違いだよってコメントは容赦無く教えていただけると助かります…)、The Sing-OffでのVoicePlayの敗退理由が「アレンジ」だったと記憶しています。

パフォーマンス直後の賛辞とは対照的で「この曲(Eyes of The Tiger)の美味しいところ/エッセンスがアレンジに取り入れられていない」と言うコメントが印象に残っています。魔改造の中にも「これは原曲からはずしちゃいかんでしょ」と言う大黒柱のようなところがあり、そこをしっかりと残す技術が何より大事と言うことだと解釈しています。


アレンジの評価

最後に。以前、審査を行った際にモメたことがありました。

「あいみょんの”君はロックを聴かない”をパーカスなしの5声で歌ったから落とす」と言う意見に僕が猛反発したものでした。

「しっかりと改造されており5声で完結しているのだからパーカスがいないのは落とす理由にはならない。」と言うのが当時の僕の意見です。

一方で「この曲はロックを聴かないと言いながらロック調に仕上げた楽曲のギャップが良い曲であって、そこは改造してはならない」と言うのが「落とす理由」になっていました。

ここまでつらつらと書いてきた内容を踏まえ、今の僕の意見を述べると「大衆向けのステージであれば落とす!アカペラを嗜む人しか来ないのであれば通す!このライブの客層はどっち?」です。

卑怯な締めかたになりますが、皆さんの意見もお聞かせいただければなと思っています。


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