僕のバイブルとなっている本である。
是非興味のある方は購入し読んでみて欲しい。
僕はアカペラを音楽としてしか捉えないのは非常に勿体ないと思っている。更に言ってしまうとアカペラを「アカペラだから…」と考えてしまうのはもっと勿体ないと思っている。
それはなぜか?
そもそも音楽ってどういう時に必要とされるのだろう?と考えるところから始まった。
音楽ってどういう時に聴くだろうか?
リラックスしたい時、元気を出したい時、頑張りたい時、悲しい時嬉しい時。思えば何かしら感情や情緒と密接しているように感じる。実際にドラマの挿入かとかはそのシーンに情緒を持たせるのに使われている。
そう考えた時に音楽を音楽としてしか捉えないのは勿体ないと僕は思う。
音楽を表現の手法と捉えたらどうだろうか?と僕は思うのである。せっかく人の心を動かせる音楽なのに音楽としてしか捉えないのは非常に損をしているように思える。
特にその中でも「アカペラだから…」と考えてしまうのは勿体ないと僕は思う。
ページ一番上で紹介した本に「アメリカの鉄道業界は何故荒廃してしまったのか?」と言う章がある。本では「飛行機等の交通手段が普及した際に、鉄道を交通業界と捉えずに鉄道業界と考えてしまったことにより交通と言う面での利便性を奪われ荒廃していった」と述べているがアカペラはまさにそのたぐいの荒廃の仕方をしていると思う。
アカペラってただの奏法である。
結局はアカペラも音楽だ。それなのにアカペラであることに固執しすぎるあまりに音楽であることを忘れてしまっては音楽としては生きて行けない。実際に著名なアカペラバンドが日本ではゴスペーラズぐらいしか無いのがそれを物語っていると思う。
更に掘り下げよう。
音楽を表現として歌わないのは勿体ない。売れる曲と売れない曲の違いって何だろうか?と考えた時にやっぱり情緒的な所とリンクするか否かに関わってくると僕は思っている。恋愛の曲が多いのも最も人に共感してもらいやすいからではないだろうか?
そう考えた時に音楽を音としてしか捉えられないのは非常にもったいないのではないかな?と思う。
アコースティックの演奏を聴いているとしばしば上ハモがとけていなかったり、リードの音程がアバウトだったりするアーティストを見る。しかし意外にそれでも売れる曲は売れている。なぜか?
それは彼彼女らが表現者であるからではないだろうか?歌詞を大切にしたり、歌にメッセージを混めて伝えることにこだわっているからこそだと僕は思う。
プロのアカペラバンドのアカペラ曲が飽きられてしまう理由。
それってやっぱり音にこだわりすぎているからだと僕は思う。それはアカペラに限ったことではない。クラシックですらただ単に上手いオーケストラよりも少し荒があっても表現しているオーケストラの方が魅力的に思う。クラシックですら中には演奏中の指揮において飛び跳ねたりする指揮者だって存在している。
音楽って表現の手段だから表現から離れてはいけないような気がするのは僕だけだろうか?
せっかくの音楽という表現をしているのだ。
僕は敢えて今一度「単に上手く歌うのではなくってちゃんと表現しようぜ?」と今一度訴えかけたい。
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