【アカペラ】ステージに恵まれない人ほど言っている〜努力したのに〜


「努力」って何?
アカペラの競技人口が増えています。
これはなんとも嬉しいことです。
ただいくつか問題もあります。

競技人口が増えると
1回のステージに出演出来る
バンドの数も減ってきます。

そうなることで「ステージ難民」が発生してしまいます。

「なかなかサークルライブのステージに立てない」

こんな人も少なく無いのではないかと思います。

今日はそんな人のために、
言葉から結果を変えて行くための記事を書きます。


努力に拘らない
いつまでたっても結果に恵まれない人は決まって

「私はこんな努力をしてきました」

と言っているように感じます。

オーディションの審査前のMCでも

「こういうところを練習してきました!」

と、ドヤ顔で言っていたりします。

僕はこれが信じられないのです。

お客さんは努力を見るために
サークルライブに足を運ぶのでしょうか?

もしも努力を見たいのであれば
普段の練習を観に行く方が良いのでは?

本番の演奏に求められているのは
音楽と言う共感であったり感動であり、
泥臭い努力ではないのです。


努力は隠せ!
僕はステージに立つ以上は
努力は必ず隠すべきだと思っています。

これはプロ意識を持つのであれば尚のことです。

だってシステムを作っている
エンジニアがお客さん先に足を運んだ際に
「俺4轍もして頑張ったんですよ!」なんて言わないでしょう。

だってお笑い芸人が
徹底して影でネタを研究して
ノートがすり切れるまで目の下にくまつくって
コントを練習している様をカメラの前ではみせないでしょう。

それと同じです。
泥臭い努力はわざわざ自慢げに見せるものではないのです。

隠せとまでは言いませんが、
せめてひけらかすのだけはやめるべきだと思います。

泥臭い努力をして
その泥臭い努力丸出しで本番を迎えるのは
プロのスポーツ選手が泥だらけのままの
練習着で試合に臨むようなもの
ではないでしょうか?


まとめ
オーディション等で思うような結果が出なかったとき
「頑張ったんだけどな…」
言いたくなる気持ちは僕も凄くよくわかります。

ただ、
努力と成果を混同してしまうと、
ステージで出すべきパフォーマンスの方向も
ズレて来てしまいます。

「完璧な音を聴かせたいのか」
「寸分の狂いも無いテンポを聴かせたいのか」
「必死に磨き上げた表現を見せたいのか」

⇒「努力の成果をみせる!」

そうじゃないと思います。

「お客さんを感動させたい」
「お客さんを楽しませたい」

⇒「お客さんの心を動かしたい!」

本質ってこっちではないでしょうか?


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