【アカペラ】僕が心の無い精密機械のように審査する理由


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心がない冷たい審査
恵まれた事に僕は4年間の学生アカペラ生活で自分のサークルや他大学のサークルで何回かオーディションの審査員をさせていただく機会に恵まれたのですが、その度に「ロジカルで機械的な審査をする」と言われてきました。

先日も同期のバンドメンバーにお酒の席で「論理的な審査をする」と言われてしまいました。

まあ言ってしまうと僕の審査は物凄くロジカルです。
ほとんどの場合で審査に行くと審査項目をいくつか与えられるのですが、最初のバンドの審査項目は全てニュートラルです。5点満点だったら3点を付けています。そこから相対評価をし、明確な点数基準を設けそれを大きく手元のノートに書きそれを見ながら点数を振り当てるように審査をするようにしています。

まあそんな審査ばかりしてきたので「心が無い」とか「冷酷非情」と言われて当然なのですが、人が好きな僕としてはそう言う風に言われてしまうのは悲しいので少し弁解をする記事を書きたいなと思います。笑

そして是非これからアカペラに関わらず何かのオーディションの審査をする方に考えていただけたらなと思います。



審査において「好き」は不純物
先述した通り僕は人が好きです。
なので自分と親しい人が歌っていたら当然その曲がよく聴こえてしまいます。ましてやその曲が自分の好きな曲だったら無意識のうちに点数に影響しかねません。
※実際にはしません。僕は冷酷非情な人間です。

それでも例えばある特定の人の努力を知っていたらそれは影響しかねません。例えばA君が猛練習しているのを知っていて、そのA君が成長した姿をオーディションで披露したらそれがさも最高の演奏かの様に聴こえてしまうリスクがあると言う事です。

「好き」は「公平性」を脅かす要素になりうるのです。


ストイックに考えましょう!
僕がオーディション1バンド目の1曲目の演奏50点/100点にあたる点数をつけて、そこから相対評価で、一定の点数基準を設けてそれが揺るがないよう紙に大きく書いて審査しているのは、「好きな人や好きなバンドや好きな曲を有利にしないため」なのです。

情熱や努力はオーディションに置いて無意味なんです。
だってオーディションの場には情熱が無い奴なんて居ないんですよ!努力してこなかった奴なんて1人としていないんですよ!誰だってうれし涙流したり悔し涙流したりしてるんですよ!その熱が無い奴はオーディションの場にたってないんですよ。情を持っていたら皆合格になってしまいます。

一生懸命練習したかはオーディションでは関係ないですよ!
情熱や努力と同じです。一生懸命練習して来なかったバンドなんてオーディションには居ないんですよ!一生懸命練習したからこそ、何も無い場所から自分の体1つで音楽を産み出して音楽を奏でる事が出来ているんです。こちらも情を持っていたら皆合格になってしまいます。

例えば一部の人の努力を知っていたりすると絶対に公平な審査が出来なくなります。
ずっとその人の努力を隣で見て来ていたらそれが審査結果に出てしまいかねないですよね。だから明確な審査基準を自分の中で儲けてそれと比較して数字を機械的に置く事しか出来ないのです。特に僕みたいに人が好きな人間はそうでもしないと公平性を保てないのです。


まとめ
ことアカペラのオーディションに置いては僕は誰よりも落ちて来た自信があります。4年間でサークル内のコンサートオーディションだけで63曲。それは63曲も一緒に落ちてくれる仲間が居たからです。その仲間には勿論感謝しております。

そしてその感謝は勿論ですが、僕は落ちる悔しさや悲しさそして痛みを知っている自負もあります。一生懸命アカペラに全てを注いで来た人間がオーディションで全落ちする事ほどつらいことって無いんですよ。その人のアカペラ人生すら変えかねないんですよ。その人だけでなくその周りのバンドメンバーのアカペラ人生も。でもその努力や痛みを知っていると情がうつって絶対に公平な審査にはならないんです。

だからこそ僕は、ストイックに、審査員をしている時ぐらいは機械でありたいと思っています。

参考:【自己啓発】「頑張っていれば評価される」なんてのは綺麗ごと!それでも完全成果主義の世の中で愚直に頑張る人は魅力的!


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