【アカペラ】アレンジを1人で考える癖をつけた方が良い理由


アレンジを1人でする癖を付けた方が良い理由

少し長くなってしまいますが絶対に後悔させないのでしばしお付き合いください。

僕はアレンジをする際は絶対に最初から最後まで1人で考え抜くべきだと思っております。他者に意見やフィードバックを求めるなと言っているわけではありません。他の人の意見を聴くことは良い編曲をする上でこの上なく大切なことです。しかしながら他者に何か答えを求めたり他者の言うことを鵜呑みにすることはちょっと違います。他人に意見を求めるのは良いですが、他人から得た意見を踏まえて自分でもう一度考え直すべきなのです。つまるところ、表題にもあるようにアレンジを自分1人で考え抜くことが大切だと僕は思っております。


皆さん家を選ぶときってどうしますか?
大学生以上の読者さんが多いmokabuu.comです。
皆さん自分が住む部屋を選ぶ時ってどうしますか?不動産屋さんにオススメされた物件を見学せずに契約する人ってまず居ないのではないかと思います。

どうでしょう?

  • 不動産屋さん「ここの駅がオススメですよ!これから地価も上がりますし人気の駅です!」
  • 田舎の母「2階にしなさい!1階はカビで大変なことになるわよ!」
  • 田舎の父「南窓だ!北窓はダメだ!それと会社の近くに住め!」
  • 祖父母「治安の良い街に住みなさい…。」

とまあ部屋1つ選ぶだけで周りもあれこれ言ってくるわけです。

これらの条件を全て鵜呑みにする人ってまず居ないのではないでしょうか?

これらの意見を参考にしつつ、
実際に自分の目で色んな部屋を見た上で運命の一部屋に決定するのではないかと思います。

アレンジも同じです。

他の人の意見を参考にしつつ、
実際に自分の耳で色んなものを試した上で運命の表現に決定するのではないかと思います。


学校の裏山は危ない?
A君「もかぶー!今夜裏山に行こうぜ!」
ぼく「お母さんが裏山は危ないって言ってたからダメだよ!」

皆さんは上記の会話を読んで何歳の会話を想定しましたか?

…。

……。

…。

………。

……。

……。

………。

…。

はい。
そうですね。

恐らく小学生の会話をイメージした人が多いのではないかと思います。

何故小学生なのか?

それは恐らく「お母さんの言うこと」をそのまま素直に受け取ってお母さんの意見の受け売りをしていたからではないでしょうか?中学高校生にもなって「お母さんが危ないって言ってたからダメ!」と言う人はごく少数だと思います。本来中高生であれば「お母さんが危ないと言っていて、事実自分もそう思うからダメ」と言うべきでしょう。そして「なんで?」と問われれば自分が危ないと思った理由を相手に説明して納得してもらうのが理想です。

しかしこれがアレンジになると途端に笑い事ではなくなります。
アレンジに対するコメントを求められた際に「なんでここはこうしたの?」と聴くと「先輩がこう言ってたから」とか「バンドクリニックの時にそう指摘されたから」って答える方があまりにも多いのであります。これって言葉が変わっただけでママの言いつけを自分で考えることもせずにただただ繰り返し再生している小学生と同じです。

そこに自分の意見や考えなんてないのであります。


これって実はものすごく危険なことなのです。
自分で考えていないから応用が効かないのであります。

例えば夜暗くなってから学校の裏山に入り足を滑らせ崖から落ちたり変質者に絡まれて怖い思いをした小学生は、人が居ないところに行くと危ないと物事の本質を学ぶことが出来ます。結果昼間でも廃墟や人通りの少ないスラム街のような通りに入ることはなくなるわけです。その一方で母親の言いつけを真面目に守り「お母さんに言われたから」と暮らして来た小学生が高校生や大学生になった時に海外旅行で道1本間違えてスラム街に入り昼間から財布の中身を全て脅し取られたりするわけです。

アカペラでも同じです。
バンドに楽譜のプロトタイプをもって行ってバンドメンバーから意見を貰った際に「なんでそうなっているのか」までしっかりと考えた上で意見を参考にしないと、結局は本質を理解していないため応用をきかせることが出来なくなってしまいます。


そして意見の受け売りはもっと最悪です。

応用がきかないどころか意見を丸暗記しているだけなのでなんて言われたか”忘れてしまったらおしまい”なのであります。それに対して自分でしっかりと考えて物事を判断している人間は強いように感じます。

仮に1年生の時にこんな悩みがあったとしましょう。

曲のキーはCメジャー。

65小節目の和音が原曲ならば7th。
原曲はギターと声だから不協和音がならなかった。
声だけだと主旋律と7thの音が干渉してしまう。
どうしたら良いだろうか?

ここで4年生の先輩に「シ♭を半音下げてラにすると6thになって7thと同じ役割の和音が作れるよ!」と教えてもらいそれをそのまま楽譜に反映したとしましょう。

そして時は流れ3年後。
今度は自分が4年生になった時に後輩と再びその楽譜で歌うことになりました。

後輩「先輩!なんでここはドミソラなんですか?」
ぼく「え?えーと?うーん?適当?」
後輩「ラドミソって並びかえるとAm7なのでC7を同じトニックのAm7に置き換えて”つみ”を変えたとかですかね?」
ぼく「ああ!そうそう!それだよ!そーれッ!さすがやね!」

なんて事になってしまいます。
先輩に教えてもらっても鵜呑みにするのは絶対にあかんのです。家に帰ってから代案も含めてしっかりと自分で調べて「なんでそうすると上手く行くのか」自分の中にしっかりと落としこんで取り組まないと絶対にどこかで痛い目みることになります。

もちろん先輩はあなたよりも経験値がありますし、あなたの為を思って色々教えてくれているわけで、これ即ち先輩の言うことを聴くなと言うことではありません。もちろん素直に先輩の言うことを聴くのは大切なことです。ただし絶対に先輩の言うことを鵜呑みにだけはしないで欲しいのであります。常に先輩の言うことは、僕が書いている記事の内容も、6割ぐらいで聴いて実際に自分の目や耳で真実を確かめてもらえると凄く良いのではないかと思います。


バンドで決めたことですから
さて。

ここらで1回休憩を挟みましょう。

ふう。

さてさて。

オーディションで審査員をしている際に稀に「アレンジで落とすこと」があります。僕が審査員をしている時は、アレンジがあまりに音楽的で無かったり楽譜の段階で和音が不協和音だったり余程の事が無い限りアレンジで落とすことは無いのですが、審査員の人によってはアレンジをかなり厳しくみられることもあります。そんな時に仮にバンドがアレンジで落ちてしまったとしましょう。

アレンジャー以外のメンバーが「バンドで決めたことですから」と言うのは凄くよくわかります。
でも僕はアレンジャーがそれを言われた時に「バンドで決めたことですから」と言うのが解せません。

だってバンドになにを言われようがアレンジャーその音を置かなければバンドがその音で歌うことってないわけじゃないですか?
これをバンドのせいにするのはどう考えても違うでしょと僕は思うのです。

そういうアレンジャーって決まって「ここの音はなんでこれにしたの?」と聴くと「あ?え?その音ですか?ノリです!」とか「深い根拠はありません!」とか「適当にそれっぽい音置いてみました!」とか言うから腹がたつものです。僕もやってしまったことがあるのであまり強く咎めることは出来ませんが「お前は適当にノリで置いた根拠も無い音を他人に音とりさせてるのかッ!」と諭したいです。今ここで諭します。楽譜に「ノリで」「適当に」「根拠も無い」音を置いている人は少し考えてみてください。あなたが置いたその音を必死にとって歌ってくれているメンバーが居ることを。

「バンドで決めたこと」でもそれがあなたの楽譜なら最後まで責任はもちましょう。

バンドで何か意見が出た際には耳を傾けることも大切ですが
「いやいやいや!ごもっともな意見ですが実は違うんですよ!実をいうとここはですね…」
ってな感じでメンバーが「うわぉう」と唸ってしまうぐらい考えて楽譜を作り込もうじゃありませんか。

「バンドで決めたことだから」

これは楽譜の生みの親であるアレンジャーが言って良い言葉ではないと思います。
少なくとも僕は…。


まとめ
皆さんドラえもんのスネ夫って言われて不快に思わない人は居ないかと思います。

僕も名前がスネ夫に似ていると言うだけでスネチャマと呼ばれ不快な日々を送ったことがあります。

では何故スネ夫と呼ばれることが不快なのか?

それは彼の自慢癖と「ママァー!」にあるのでは無いかと思います。

今日はその後者。
「ママ」の言いなりにならずに人生の先輩である「ママ」の意見を踏まえてしっかりと自分の頭で考えて行動にうつすようにしましょう。
意見を聞いて参考にするのと意見を鵜呑みにするのとでは雲泥の差がありますよ!

是非日頃から“しっかりと自分で考える癖”をつけてみてはいかがでしょうか?

103a06a9ad95059c0b121ff3d74ad2cb_s


最後まで読んでいただきありがとうございます。もしこの記事を気に入って頂けたようであればシェアをお願い致します。非常に励みになります。


コメントを残す